鬼火姫〜細工師の契約婚姻譚〜
5話 白々しい会話
婚姻をしてから数週間が過ぎた。
あれから凛火は、落ち着かない日々を過ごしていた。
細工作りのできる、最高の環境だ。だが、なぜか爽が、ピタリと凛火の側につくようになったのだ。
「あの…爽さま」
「なんだ」
「お仕事はいいのですか?」
「仕事はしている。細工師だからな」
「それはまぁ、そうなんですけど…」
凛火は知っている。
爽が時々、夜中に屋敷を抜け出していることを。その時には必ず、詰襟の隊服を着ているのだ。
あれは、狩人の制服だ。爽がそれを着ているということは、爽は狩人として鬼を狩っているのだ。
狩人は夜に活動する。つまり昼間は眠らなければ、体力を回復できないはずだ。それにもかかわらず、爽は昼間も普通に起きて動いている。凛火にしてみれば理解不能以外の何者でもない。
しかし、狩人について凛火は言及できない。
狩人の存在は一般人には秘匿されている。天帝の直属の配下であり、公にされていないのだ。一般人で通っている凛火が、狩人のことを知っているのはおかしいのだ。
故に、それ以上は爽に言うことができない。
もやもやを抱えたまま、凛火は爽の手つきを眺めた。
爽は凛火の隣で細工作りをしている。花飾りを櫛に溶接するその繊細な手つきは、まさしく職人のものだった。とても狩人をしているとは思えない。
なぜこれほどの技術を持つ爽が、命の危険と隣り合わせの狩人をしているのだろう。
「そうだ。凛火さん」
「はい」
「今度、街で祭りがあるんだ。一緒に行かないか」
「は?」
爽の提案に凛火は目を丸くした。
爽は一体どうしたと言うのだ。
婚姻してすぐ「夫婦とは思わない」と言っていながら、祭りに誘ってくる。
何やら最近、何かと凛火に構ってくるようになった。凛火が細工作りをしていたら褒め、食事は相変わらず凛火が食べ終わるのを待ち、少しでも怪我をしようものなら慌ててくる。口数は多い方ではないが、凛火の身を案じているのは伝わってきた。なぜだ。
訝しく思いながらも、凛火は爽に諾の返事をする。爽はほっとしたように、少しだけ口角を上げた。
初めて会った時より柔らかい爽の表情に、凛火は胸の痛みを覚えて俯いた。
爽は狩人だ。対して凛火は鬼だ。
狩人と鬼は相容れない関係であり、凛火の正体がバレたら討伐される。さらに凛火は、『厄災』と謳われる「鬼火姫」だ。いつか『英雄』が討伐に来る。
自分の身を守るためには、すぐにでも綾城家を出て行かなくてはならない。工房長のところに戻ることもできないので、山奥でまた身を隠す必要がある。
だがそれができなかった。案外、居心地が良かったのだ。婚姻して数週間だが、すでに手放し難いと感じていた。
**********
祭りの当日は、街は今まで以上に生き生きしている。人々に浮かぶ笑顔は、宝石のように煌めいていた。
祭りは街全体で行うもののようで、普段の店を祭り仕様に彩っているところもあれば、空き地に屋台を出しているところもある。
夕方になって祭りの時間になると、凛火は爽について街を歩いていた。
子どもが無邪気に走り回っている。大人は祭りの開催に慌ただしいが、その足取りは軽やかだ。
「あ、これ…」
立ち並ぶ店のひとつに、見覚えのある細工があった。布でできたうさぎの吊るし細工は、以前爽が作っていたものだった。ひょいひょいと最小の動きで完璧に仕上げられるうさぎを見て、感嘆したのを覚えている。
「よく分かったな」
「そりゃあ、分かりますよ。爽さまの細工はどれも完璧で美しいので」
凛火は、吊るし細工に真剣な眼差しを向けながら言う。そのため、爽の表情を見ていなかった。
爽は驚いたように目を丸くし、次いで目を細めて口元を押さえていた。
凛火は爽と屋台を回った。特に林檎飴は初めて食べたもので、パリパリの飴と瑞々しい林檎の食感が癖になる。
最後の目玉は打ち上げ花火だ。星空の煌めく夜空に、大きな花火が打ち上がるのだ。
「特等席があるんだ」
爽に連れられて、街から外れた野原を行く。到着したところは、原っぱになっている開けていた。障害物の何もない、確かに空がくっきりと見える場所だ。
花火を見るにはもってこいの場所だろう。
しかし凛火には、花火を楽しむより気になることがあった。
「爽さま」
「静かに」
爽は唇に人差し指を当てた。その目線は鋭い。やはり、爽も気づいていた。
凛火たちの後を、鬼が追いかけている。もう、すぐ側まで来ている。カランコロンと、下駄の音が聞こえる。しかし気配は禍々しく、地を這う蛇が獲物に狙いを定めているようだ。
凛火は懐に手を入れた。いざという時のために、凛火は細工をいくつか忍ばせている。細工を媒体に能力を使う凛火にとって、細工は生命線だ。細工があれば、大体の鬼は退けられる。
問題は、狩人の爽が隣にいるという点だ。バレないように能力を使うには、何の細工が良いだろうか。いや、ここは大人しくしておくべきか。しかし爽は刀を持っていない。扇子を使って、一気に鬼を吹き飛ばした方が良いだろうか。
扇子を出そうとしたところで、爽が凛火の右手を押さえた。
「何もしなくて良い。大丈夫だ」
何が大丈夫なのか。鬼を斬る刀もないのに。
爽は背後を振り返った。予想通り、鬼がいる。女の鬼だった。額から一本の角が生え、眼球には一筋の縦線が入っている。街娘のような姿をしている。愛くるしい見た目をしているが、纏う空気は氷のように冷たい。
「やっと見つけた」
鬼娘が凛火を見てニヤリと笑う。爽はギュッと凛火の手を握りしめた。
「鬼の世界の再興を!鬼火姫と共に!鬼火姫に栄光あれ!」
演説のように腕を広げる鬼娘の胴体に、一閃が入った。次いで瞬きのうちに、首に光が走る。ことりと娘の首が落ちた。そのまま、鬼娘は黒い霧となって消えた。
「大丈夫ですかー?」
こちらに駆け寄ってきたのは、詰襟の隊服を着た青年だ。癖っ毛のある栗毛を跳ねさせ、丸い目をくりくりさせた童顔だった。しかし身長が恐ろしく高い。顔を見ようと目線を上げれば、首が痛くなりそうだ。
「ありがとうございます。助かりました。急に変なことを言い出す人だったものですから」
「いやー、あれ、鬼って言うんですよ」
「鬼⁉︎御伽話だけじゃないんですか」
栗毛の青年は狩人だ。
凛火は綾城家の屋敷で、何度か青年を見ている。決まって、爽が狩人として仕事に出る時に屋根に登って迎えにきているのだ。確か名前は、湊と言っていた。
にも関わらず、二人は初対面のような話し方をして、爽は鬼なんて初めて聞いたと言わんばかりの態度をとる。
目の前で白々しい会話を繰り広げる二人に、凛火は距離をとった。
何かおかしい。特に、爽が。
「奥さん、大丈夫ですか?」
「…はい、大丈夫です。驚いただけで」
「顔色が良くない。家に帰るか?」
「大丈夫です、本当に。お気遣いありがとうございます」
湊は軽く頷くと、チラリと爽に目線をやってどこかへ去って行った。その後ろ姿を見送って、凛火は爽に向き直った。
「爽さま」
「驚いたな。まさか鬼がいるなんて」
「爽さま」
もう一度呼びかけると、爽は押し黙った。
「何か、隠していますよね、私に」
あれから凛火は、落ち着かない日々を過ごしていた。
細工作りのできる、最高の環境だ。だが、なぜか爽が、ピタリと凛火の側につくようになったのだ。
「あの…爽さま」
「なんだ」
「お仕事はいいのですか?」
「仕事はしている。細工師だからな」
「それはまぁ、そうなんですけど…」
凛火は知っている。
爽が時々、夜中に屋敷を抜け出していることを。その時には必ず、詰襟の隊服を着ているのだ。
あれは、狩人の制服だ。爽がそれを着ているということは、爽は狩人として鬼を狩っているのだ。
狩人は夜に活動する。つまり昼間は眠らなければ、体力を回復できないはずだ。それにもかかわらず、爽は昼間も普通に起きて動いている。凛火にしてみれば理解不能以外の何者でもない。
しかし、狩人について凛火は言及できない。
狩人の存在は一般人には秘匿されている。天帝の直属の配下であり、公にされていないのだ。一般人で通っている凛火が、狩人のことを知っているのはおかしいのだ。
故に、それ以上は爽に言うことができない。
もやもやを抱えたまま、凛火は爽の手つきを眺めた。
爽は凛火の隣で細工作りをしている。花飾りを櫛に溶接するその繊細な手つきは、まさしく職人のものだった。とても狩人をしているとは思えない。
なぜこれほどの技術を持つ爽が、命の危険と隣り合わせの狩人をしているのだろう。
「そうだ。凛火さん」
「はい」
「今度、街で祭りがあるんだ。一緒に行かないか」
「は?」
爽の提案に凛火は目を丸くした。
爽は一体どうしたと言うのだ。
婚姻してすぐ「夫婦とは思わない」と言っていながら、祭りに誘ってくる。
何やら最近、何かと凛火に構ってくるようになった。凛火が細工作りをしていたら褒め、食事は相変わらず凛火が食べ終わるのを待ち、少しでも怪我をしようものなら慌ててくる。口数は多い方ではないが、凛火の身を案じているのは伝わってきた。なぜだ。
訝しく思いながらも、凛火は爽に諾の返事をする。爽はほっとしたように、少しだけ口角を上げた。
初めて会った時より柔らかい爽の表情に、凛火は胸の痛みを覚えて俯いた。
爽は狩人だ。対して凛火は鬼だ。
狩人と鬼は相容れない関係であり、凛火の正体がバレたら討伐される。さらに凛火は、『厄災』と謳われる「鬼火姫」だ。いつか『英雄』が討伐に来る。
自分の身を守るためには、すぐにでも綾城家を出て行かなくてはならない。工房長のところに戻ることもできないので、山奥でまた身を隠す必要がある。
だがそれができなかった。案外、居心地が良かったのだ。婚姻して数週間だが、すでに手放し難いと感じていた。
**********
祭りの当日は、街は今まで以上に生き生きしている。人々に浮かぶ笑顔は、宝石のように煌めいていた。
祭りは街全体で行うもののようで、普段の店を祭り仕様に彩っているところもあれば、空き地に屋台を出しているところもある。
夕方になって祭りの時間になると、凛火は爽について街を歩いていた。
子どもが無邪気に走り回っている。大人は祭りの開催に慌ただしいが、その足取りは軽やかだ。
「あ、これ…」
立ち並ぶ店のひとつに、見覚えのある細工があった。布でできたうさぎの吊るし細工は、以前爽が作っていたものだった。ひょいひょいと最小の動きで完璧に仕上げられるうさぎを見て、感嘆したのを覚えている。
「よく分かったな」
「そりゃあ、分かりますよ。爽さまの細工はどれも完璧で美しいので」
凛火は、吊るし細工に真剣な眼差しを向けながら言う。そのため、爽の表情を見ていなかった。
爽は驚いたように目を丸くし、次いで目を細めて口元を押さえていた。
凛火は爽と屋台を回った。特に林檎飴は初めて食べたもので、パリパリの飴と瑞々しい林檎の食感が癖になる。
最後の目玉は打ち上げ花火だ。星空の煌めく夜空に、大きな花火が打ち上がるのだ。
「特等席があるんだ」
爽に連れられて、街から外れた野原を行く。到着したところは、原っぱになっている開けていた。障害物の何もない、確かに空がくっきりと見える場所だ。
花火を見るにはもってこいの場所だろう。
しかし凛火には、花火を楽しむより気になることがあった。
「爽さま」
「静かに」
爽は唇に人差し指を当てた。その目線は鋭い。やはり、爽も気づいていた。
凛火たちの後を、鬼が追いかけている。もう、すぐ側まで来ている。カランコロンと、下駄の音が聞こえる。しかし気配は禍々しく、地を這う蛇が獲物に狙いを定めているようだ。
凛火は懐に手を入れた。いざという時のために、凛火は細工をいくつか忍ばせている。細工を媒体に能力を使う凛火にとって、細工は生命線だ。細工があれば、大体の鬼は退けられる。
問題は、狩人の爽が隣にいるという点だ。バレないように能力を使うには、何の細工が良いだろうか。いや、ここは大人しくしておくべきか。しかし爽は刀を持っていない。扇子を使って、一気に鬼を吹き飛ばした方が良いだろうか。
扇子を出そうとしたところで、爽が凛火の右手を押さえた。
「何もしなくて良い。大丈夫だ」
何が大丈夫なのか。鬼を斬る刀もないのに。
爽は背後を振り返った。予想通り、鬼がいる。女の鬼だった。額から一本の角が生え、眼球には一筋の縦線が入っている。街娘のような姿をしている。愛くるしい見た目をしているが、纏う空気は氷のように冷たい。
「やっと見つけた」
鬼娘が凛火を見てニヤリと笑う。爽はギュッと凛火の手を握りしめた。
「鬼の世界の再興を!鬼火姫と共に!鬼火姫に栄光あれ!」
演説のように腕を広げる鬼娘の胴体に、一閃が入った。次いで瞬きのうちに、首に光が走る。ことりと娘の首が落ちた。そのまま、鬼娘は黒い霧となって消えた。
「大丈夫ですかー?」
こちらに駆け寄ってきたのは、詰襟の隊服を着た青年だ。癖っ毛のある栗毛を跳ねさせ、丸い目をくりくりさせた童顔だった。しかし身長が恐ろしく高い。顔を見ようと目線を上げれば、首が痛くなりそうだ。
「ありがとうございます。助かりました。急に変なことを言い出す人だったものですから」
「いやー、あれ、鬼って言うんですよ」
「鬼⁉︎御伽話だけじゃないんですか」
栗毛の青年は狩人だ。
凛火は綾城家の屋敷で、何度か青年を見ている。決まって、爽が狩人として仕事に出る時に屋根に登って迎えにきているのだ。確か名前は、湊と言っていた。
にも関わらず、二人は初対面のような話し方をして、爽は鬼なんて初めて聞いたと言わんばかりの態度をとる。
目の前で白々しい会話を繰り広げる二人に、凛火は距離をとった。
何かおかしい。特に、爽が。
「奥さん、大丈夫ですか?」
「…はい、大丈夫です。驚いただけで」
「顔色が良くない。家に帰るか?」
「大丈夫です、本当に。お気遣いありがとうございます」
湊は軽く頷くと、チラリと爽に目線をやってどこかへ去って行った。その後ろ姿を見送って、凛火は爽に向き直った。
「爽さま」
「驚いたな。まさか鬼がいるなんて」
「爽さま」
もう一度呼びかけると、爽は押し黙った。
「何か、隠していますよね、私に」