君を守る契約
その間、彼とは勤務中に幾度かすれ違うことがあった。今までもこんなにすれ違っていたのだろうか。
私は搭乗口でタブレットを見ながら搭乗客の確認をしていると、ふと目の前を黒い制服が横切った。ハッと視線を上げると彼ともう1人のパイロットを先頭にクルーが機内に入っていくところだった。

「いってらっしゃいませ」

思わず声にすると、彼はほんの少し口角が上がったように見えた。そして会釈を返してくれるとそのまま機内に搭乗してしまった。

「浅川さん、あの便、折り返しで松永機長が入るみたいですね」

同僚の言葉に胸がドクンと音を立てた。同じ会社なのだから彼の名前を耳にするのは当たり前のこと。今までだって何度となく繰り返されてきたやり取りなのに、なぜか今は胸の奥が熱くなる。外は冷たい空気が満ちているのに、私だけは顔がなんだか火照っていた。
しばらくするとチェックを終えた彼はコックピットに入ったようだ。誰にもこの火照りを悟られないように私は航空券を確認しつつ搭乗の手続きをいつも通り行なった。けれど全ての乗客を案内し終えたところで、ついコックピットに目をやってしまった。スイッチバックが始まり、機体は動き始めていた。彼は空港から飛行機を見つめている子供に向けてだろうか、サービスの一環として手を振っていた。けれど、一瞬目が合ったような気がして、なぜか私に振られたような気持ちになりドキドキしてしまう。思わず、私も手を振りそうになってしまい、ハッと我に返った。
彼の制服姿は何度見ても見惚れてしまう。契約とはいえ今は私の夫であることが信じられない。私自身、松永琴音に変わってしまった実感もないままだ。
機体は方向を変え、滑走路に向かう。私はそちらに向け頭を下げた。もちろんお客様に向けて、でもほんの少しだけ彼に向けての挨拶も含まれていた。
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