【香る物語】香りの檻
零司くんが呼んでくれたタクシーは、お兄ちゃんのマンションへ夜の街を静かに走る。月明かりに照らされた桜並木の花びらが、なぜか悲しく、今にも泣き出しそうに見えた。

お兄ちゃんはシートに深く背を預け、窓の外を見ている。並んで座っている私たちには、拳一つ分の隙間がある。彼の息づかいと体温すら感じられるのに、こんな小さな隙間が、私にはとてつもない距離に感じた。

さっきまで蘭ちゃんと楽しく笑いながら話していたのに、車内に聞こえるのはかすかなタイヤの振動だけ。やはり私たちの間には会話はなかった。

まもなくスピードを落としたタクシーが、マンションの前で停車する。開いたドアから降りるお兄ちゃんを、慌てて支える。

いくら春とはいえ、夜は冷え込む。濃紺のキャンバスに輝く星と月。風に乗って届くのは、お兄ちゃんの紅茶と清潔感のある香り、それに湿った空気だった。

どうにか部屋の前までたどり着いた。女性の平均より少し背が高い私でも、185センチを超えるお兄ちゃんを支えてここまで運ぶのはさすがに大変だった。指先は、いつのまにか汗で湿っていた。

廊下に灯された薄暗い電気が静けさを増している。支えた彼から伝わる鼓動だけが、トクントクンと規則正しくこだまする。

彼は壁に片手をつき、もう片方の手でカードキーを取り出した。センサーに軽くかざすと、カチッと電子ロックの外れる音。

そのわずかな間にも、香りがふっと流れ出した。それは今まで触れたことのない香り。どこか神聖だけれど、ホッとするような……?

雑に脱ぎ捨てられた靴を揃えて、そっとつぶやく。

「お、お邪魔します」
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