【香る物語】香りの檻
きっとお腹が空きすぎているから。

わずかに震える手でバッグの中を探り、飴を一つ取り出して口に放り入れる。甘酸っぱい梅の味が口内に広がり、唾液がじわっと溢れる。顎の奥がキュッと引き締まる感じ。

額の汗も止まり、胃の違和感も落ち着いてきた。ハーッと長く息を吐く。呼吸を整えるように、ゆっくりと息を吸っては吐く動作を何度か繰り返す。

通勤時間の大通りは慌ただしい。風に乗ってベンチに届く車の排気ガスの毒々しい臭いは、なぜかバスの中の汗よりマシだと感じてしまう。

前には途切れることもない車の列。ベンチの後ろの歩道から聞こえる、行き交う人たちの不規則な足音の数々。それでも、私以外にバスを待つ人はいない。

ほっとしたせいか、目に映る景色も耳に入る音も、次第にゆっくりと流れ始めたように感じる。一人取り残されている感覚に陥る。

あっ、夕飯も抜かしたっけ。
そうか、今朝もまだだし。
やっぱり、お腹空きすぎて気分悪くなっちゃったんだ。
会社行く前にコンビニで、簡単に食べられるものを買っていこう。

昨日は検査スティックの結果に動揺して、なんとなく夕飯、食べ損ねたんだよね。それに今朝は早く出て、さっさと仕事を始めちゃおうと計画したのに。

だってお昼休みにクリニックの予約があるから。まあ昨日の検査スティックの結果は間違いってわかってるけど……そうに決まっている。自分の安心材料として、念のためにね。

そんなことを一人で納得したとき、ベンチから小さな振動が伝わった。隣に人が座ったらしい。その一瞬で『今』に戻された。






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