【香る物語】香りの檻
頭の中に、それぞれの未来が映画のように流れた。律己さんと赤ちゃんと三人で微笑んでいる。物語のように幸せそうな、理想の家族の絵。

もう一つは……

やっぱり、産めるわけがない。
産んでいいわけじゃない。
わかってる。

今の私には無理だ。
新しい仕事だってまだ決まってない。
就職して1年経っただけで、給料だって高くない。
部屋を探してる途中で、貯金だってそんなにない。

両親には言えない。
一人で産んで育てるなんて、できるはずがない。

……わかってるのに。
罪悪感が、容赦なく押し寄せてくる。

産めなくてごめん。
できなくてごめん。
ここにきてくれたのに、喜べなくてごめん。

そっと両手でまだ変化のないお腹を包み込む。

もし、これがバレたら……
お兄ちゃん……律己さんと蘭ちゃんの幸せを壊してしまうかもしれない。
それにお父さんとお母さんの幸せも。
私のせいで。

そこまで考えて、両膝を抱え、背中を丸くし、小さくなった。

全部、全部……全部、私のせいなんだ。
あの夜、酔ってしまった律己さんを利用したのは、この私。
一夜の思い出にしたいって。
それで完全に諦めるって決めたのに。

でも、すでに結論は見えている。苦しくて、悲しくて、どうしても受け入れたくない現実だけど、中絶するしかない。

胸が押しつぶされそうで息苦しい。涙が出るはずなのに、まったく出ないのはなぜ?
私は人の心さえ失ってしまったの?
やっぱりあの『ろくでなし』の血が、間違いなく私にも流れているんだ。

震える指で同意書をめくった瞬間、ある文字に視線が止まり、息が喉に詰まった。

『パートナー署名・印』

……えっ、どうしよう。
私には、そんな人……いないのに。

このときの私は気づかなかった。用紙の下に小さく記された、未婚の場合は本人の署名のみでよいという一文に。

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