【香る物語】香りの檻
ーー「穂乃香」

呼び止められた気がして歩調をゆるめたが、聞き間違いだろうと思った。振り返りもせず、またずんずんと歩き始める。

ーー「穂乃香!」

二度目の声は、さっきより近くて大きい。

えっ?

聞き覚えのない声に、戸惑いながら振り返る。

けれど、知っている顔はどこにもいない。帰宅を急ぐ人々が私の横を通り過ぎる。まるでそこに私という人間が存在しないかのように。

やっぱり気のせいだ。そう思うようにした。再び前を向き、歩き出そうとした瞬間だった。

ぐいっ、と腕を強くつかまれた。反射的に振り向く。

そこに立っていたのは、お母さんと同じくらいの年齢の見覚えのない男性。スーツ姿のその人には、好ましくない空気がまとわりついていた。白いシャツにはしわと薄茶のシミが目立ち、どこか品のなさがうかがわれる。

だ、誰?

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