春を待つ
エピローグ
それから八月十五日の終戦日までは、実にあっという間だったのだよ。
時間というものは、奪う時ほど早足になるらしい。
『耐え難きを耐え、忍び難きを忍び……』
難しい言葉をつらつら並べた玉音放送が流れるラジオを沢山の人が囲み、静かに聞く。
ラジオは雑音を混ぜながら、淡々と終わった。
放送が終わっても、何のことか分からず首を傾げている人に聞かせるように、商家のおじさんが「戦争は終わったんだ。日本は負けたんだ。今のは天皇陛下のお声だ」と、涙ながらに言った。
「戦争が終わった…?てことは、息子帰ってくるんかいな…」
涙を流しながら「やったぁぁ…」と、女性はラジオに向かって万歳をした。
そのすぐ隣で、目に涙を浮かべた少年が訴える。
「に、日本は負けてないんだ!負けるはずない!最後には神風が吹いて勝つって……みんな騙してたのかよ!父ちゃん……父ちゃん……!」
その訴えは、父親を笑顔で戦地に見送ってしまった、戦争とは何なのかを理解していなかった自分にも向けられていた。
子供は純粋無垢である。人を、与えられた情報を疑うことを知らなかったのだよ。
しかし、それゆえの悲惨。
あの時、この放送を聞いていた多くの国民が、地面に突っ伏して泣き崩れていた。
戦争終結による安堵の涙なのか。はたまた、敗戦による悔し涙なのか。
きっと多くが、戦地に行った者の帰還を喜んでの涙であっただろうね。
しかし、いや当然、帰還出来た者は少なかったのだよ。
「ああ、春馬が可哀想……お願いします、春馬を返してください……」
東北の小さな町で、一人の女性が地面に座り込み、声を押し殺して泣いていた。
春馬、と息子の名前を呼び、何度も、何度も。
軍国日本に生まれ、十八歳の若さで亡くなった。
自分の腹を痛めて産んだ子供が、兵隊に行き、航空母艦に体当りして、そのまま死んでいく。
母は不憫で、不憫でたまらなかったのだろう。
自分より先に死ぬべきではない人が、自分の命より大切な人達が死んでいくということは、理に合わないのだよ。
「春馬が可哀想……」
その言葉に、自らを責める響きもあったのか、女性は旦那らしい人に慰められていた。
「母さんが悪い訳じゃないよ。春馬はこの国を護(まも)ろうと志願して行ったんだ。与えられた任務を成し遂げたんだ」
殺らなければ自分の大切なモノが殺られる。だから銃剣の先を揃えて戦地に行く。中には、自分から志願して行った者も少なくなかった。
翼の先を塗り直し、あどけない新兵も敗戦を前に動揺を隠せずにいる。
死者の数を数えて、犠牲の数、指を折る。あぁ、手が何本あっても足りないのだよ。
花びらに黙祷を。
哀れみから礼拝を。
「見えていたものが全てあるとは限らない」
忘れる、というのは本当に難しいことだね。
戦争で三百万人以上が亡くなり、町は焼け野原となって、住む家もなく、食べ物も今まで以上に不足していた。
日本は、アメリカを始めとする連合国軍の占領下に置かれた。
敗戦で、全てが覆(くつがえ)ったのだよ。
それまで特攻戦死者を『軍神(ぐんしん)』と崇め称えていた人達の多くは手のひらを返して冷淡になり、心ない人達は彼らを『犬死に』呼ばわりした。
生き残りの特攻隊の人達には『特攻帰り』『特攻くずれ』と陰口を叩く。
望まれかざした刃は、手のひらを返して自分に向くのだろうか。
人は特攻隊を「残酷だ」「無意味な作戦だった」「馬鹿らしい」と言うが、残酷だったのは、きっと戦争そのものなのだよ。
「無駄だったと、誰が決められるのだろうね」
戦争を生き延びた人々の子孫にすぎない後世の人が、彼らの死を『無駄死に』と断じることは、戦死した本人にも、遺された遺族にも、あまりに軽率な言葉ではないかな。
青年諸君よ、かつて諸君らの信じた気持ちが偽りで間違っていたものだと誰かに言われても、それを恥じる必要はないのだよ。
英霊だとも無意味だったとも、それらは全部、後から作られた考え方だからね。
「今、目にしているものが皆様にとっての現実なのだよ」
そう遠くない記憶。
揺れる木漏れ日。
人々の笑顔。
触れた手の温度。
………小さな、幸福。

これは夢物語なのだよ。
叶えたかった。でも、決して叶わなかったお伽話(とぎばなし)。
誰の?
この体は記憶を欲し、歯車を埋め込んでは、人に成り得なかった魂。
僕は、人ではない。
手にした切符は残酷に奪われ、失ってしまった。何処にでも飛んでいける自由の切符。
さっきも言った通り、僕は人ではない。
人ではないからなのか、よく分からないのだよ。
どうして人は、失った後でしか涙を流せないのだろうね。
それとも、流したからこそ次を見られるのか。
輝かしきは青春時代。
勉強、スポーツ、恋に友情。
やりたかったこと、やってみたかったこと、全てやってみよう。一緒にはしゃいで楽しそうだから学生気分も悪くないのだよ。
さぁさぁ、次はお待ちかね、食事の時間だよ。
腹が減っては口上(こうじょう)はできぬ!ってね。
お腹いっぱい食べたい人が好きなだけ食べて、『美味しいな』『幸せだな』って噛みしめる、そんな顔を僕に見せてくれたまえよ。
僕は奇術師。
この世界で覚めない夢を見たかった。
さぁ、夜明けだ。

「では皆様、またどこかで―――あぁ、もう拍手は要らないのだよ」
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