社内では言えないけど ―私と部長の秘匿性高めな恋愛模様―
 昨夜の残業のおかげで、村重さんに頼まれた仕事は、なんとか翌日のお昼前に分析結果を出すことができた。
 唇を窄めて息を吐き、凝り固まった肩を解す。
 すると、席を外していた村重さんが、デスクに戻ってきた。
 ドスッと、勢いよく椅子に腰を下ろす音にビクッとして、私は思わず肩を竦める。
 ーーなんだろう。
 ずいぶんとピリピリした空気が漂ってくる気がして、私は肩越しにこっそり窺った。
 村重さんは腕組みをしていた。
 赤く染まった頬が膨らんでいる。
「おい、なんだ。機嫌悪いな」
 彼女の隣の大村さんも、私と同じ空気を感じたようだ。
 わざわざ椅子を寄せて、小声で訊ねている。
「なんだじゃないわよ。まだ三日目で、なにがわかるのよ」
「湯浅部長になに言われたんだ?」
 そういえば、村重さんはこの時間、部長と個人面談だった。
 不機嫌なのはそのせいなのか。
 『ご挨拶』とはいえ、結構厳しいことを言われるのかな……。
 私も明後日だし、ちょっと心配。
 そのせいで、二人のやり取りに意識が行ってしまう。
「期日管理能力を身につけろってさー。余計なお世話よ」
 村重さんは完全に膨れっ面だけど、大村さんは「あー」と苦笑いした。
「お前、申請書やら報告書やら、いつも提出ギリギリだからじゃないか?」
「だから、なんでそれを新部長に言われなきゃなんないのよ。前の部長ならまだしも」
「情報、引き継がれてるんじゃねえの? 前の新山(にいやま)部長から」
「新山部長に言われたことないわよ、そんなこと。それともなによ、身上書に書いてあるとでも!?」
 荒い口調で不満を露わにする村重さんに、大村さんは『やれやれ』といった感じだけれど。
「もしかして……」
 私は小声で呟き、まっすぐ前に向き直った。
 パソコンモニターには、たった今出来上がったばかりの分析データがある。
 もしかして湯浅部長、昨夜私が誰に頼まれた仕事で残業していたか知ってるとか……?
 だけど、私はすぐに自分の直感を否定した。
 そんなわけない。
 村重さんが言うように、湯浅部長が着任してまだ三日。
 誰がなんの業務を担当しているか把握していないだろうし、個人面談も始まったばかりで部員の名前と顔も一致していないだろう。
 だから、昨夜居残っていた部下が誰かなんてわからないはず。
 あの時部長は、私が締め切りギリギリの仕事を引き受けて残業しているのを見抜いていたけど、それだけで村重さんに結びつくとは考えにくい。
 やっぱり、前任の新山部長から引き継ぎを受けていた、そう考えるのが妥当だ。
 部長間での人事の引き継ぎ……かなりシビアだったりするのかもしれない。
 私が思い巡らせていると、村重さんが席を立った。
「あー、気分悪い。気分転換してくるわ」
 そう言い捨て、プリプリしたままドアに向かっていく。
 その背中をこっそり見送って、私はなんとなく肩を竦めた。
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