社内では言えないけど ―私と部長の秘匿性高めな恋愛模様―
「いらっしゃいませ。申し訳ございません。ただ今満席でして……」
 出入口に姿を現した長身の男性客に、店員が丁寧に説明している。
「三十分から一時間ほどお待ちいただくことになるかと……待たれますか?」
「三十分か……」
 時間を聞いて、やや表情を曇らせながら、左手首の腕時計に目を落とした、その人は……。
 「湯浅部長……?」
 私は目を瞠って、無意識にその名を呟いた。
 間違いない。
 休日だけどビシッと黒いスーツに身を包んだその人は、湯浅部長だ。
 部長はしばし逡巡してからかぶりを振った。
「また寄らせてもらいます」
 「申し訳ございません。またのご来店、お待ちしております」
 店員が深々と頭を下げると、部長はくるりと踵を返した。
 あ、諦めて帰っちゃう……。
 そう思った瞬間。
 「ゆ、湯浅部長……っ」
 私は無意識に腰を浮かせ、呼び止めていた。
 自分でもびっくりするほど大きな声が出て、周りのテーブルの客たちがこちらを注目する。
 私の声は、出入口にもちゃんと届いていた。
 こちらを振り返る店員の向こうで、湯浅部長がやや目を丸くしている。
「宇佐美さん……?」
 緊張と恥ずかしさで、頭から湯気が出るんじゃないかと思うほど顔が熱い。
「あ、あの。もしご迷惑じゃなかったら、一緒に……」
 それでも、私は両手をテーブルに置き、前のめりになって声をかけた。
 私がいるテーブルに、部長の目が止まる。
 私たちの間に挟まれた格好の店員は、瞬きしながら交互に視線を向けてくるけれど。
「あ。お知り合い……ですか?」
 部長を見上げて、訊ねている。
「え? ええ。まあ……」
「お客様、よろしいですか?」
 部長がやや戸惑い気味に答えると、今度は私に確認してきた。
 私はブンブン首を縦に振ってみせる。
< 47 / 104 >

この作品をシェア

pagetop