社内では言えないけど ―私と部長の秘匿性高めな恋愛模様―
「な、なによ……」
「それなら、探すべき場所は狭まったな」
 一瞬にして怖じ気づいた村重さんには目もくれず、部長がその場を仕切る。
「大村君。その時、開始時間が繰り上がったのはなんの会議だ?」
「アジア海域における仲介貿易の航路についての会議です」
 スケジュール帳を開いていた大村さんは、部長の質問に即答した。
「よし、決まりだ」
 部長はそう言うと、部員たちを大きく見回した。
 どこか満足そうで、その目元がわずかに緩んでいる。
 確かに、『笑った』と言える表情。
 恐らく初めて部長の笑みを目にしたみんなは意表をつかれた様子で、緊迫していた空気がふわっと和らいだ気がした。
 それをまた、部長がポンと手を打って引き締める。
「村重さんのデスク、それからアジア各国の港を中継する仲介貿易に関するファイルを、手が空いてる者全員で探そう。大丈夫。どこかに紛れ込んだだけだろう」
「はいっ」
 部長の一声で、みんなが村重さんのデスクと書庫に向かっていく。
「ほ、ほら村重。お前も探すぞ」
 大村さんが、立ち尽くす村重さんに耳打ちして促す。
 彼女は無言で、そそくさと方向転換したけれど。
「村重さん」
 部長が静かに呼び止めると、ぎくりと肩を動かした。
「大事な契約書の授受を任せた人を、もっと信用すべきじゃないか?」
「え……」
「とっちらかったデスクに契約書を置けという君の指示は、杜撰の一言に尽きる。置き去りにできないと躊躇った宇佐美さんの判断が正しい。君は彼女に感謝すべきであり、自分の迂闊な事務事故未遂の責任を押しつけるとは言語道断。到底褒められたことではない」
「っ……」
 一点の曇りもない正論で説き伏せられた村重さんは、グッと言葉に詰まる。
 黙ったまま、契約書の捜索に加わろうと身を翻した。
 彼女の背を見送って、部長は目を伏せて溜め息をついた。
 そして、ゆっくりとこちらを振り返る。
「君たちは仕事に戻って」
 私と光山さんに視線を投げると、何事もなかったかのような顔で指示した。
「はい。部長、ありがとうございました」
 光山さんはキビキビと頭を下げた。
「宇佐美さん、行こう」
 私の肩を叩いて促し、先にデスクに戻っていく。
「は、はい。……あ」
 私が彼に返事をする間に、部長はその場から離れていた。
 執務室の出口に向かう背に気づき、声をかけようとして躊躇する。
 自分の席に着いた光山さんと、まさに執務室を出ようとしている部長を交互に見遣った。
 迷ったのは、一瞬。
 私は湯浅部長を追った。
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