社内では言えないけど ―私と部長の秘匿性高めな恋愛模様―
 胸に芽生えた『疑惑』を打ち消そうとしたものの、それは私の意思に反して、じわじわと大きくなって浸透していく。
 その正体を突き止めようとして、『湯けむり旅情』さんの一つ目のコメントを開いた私は、思わず目を見開いた。
 私は居住地や生活範囲など『身バレ』を避けるため、ブログでは部長を『上司』という言い方に留めていた。
 すごく気を遣って気をつけているつもりでも、私がどんな環境に身を置いているか気づく、鋭い人がいないとは限らない。
 例えば、私の勤務先に見当をつけられた時、『部長』という呼び名ではその範囲が狭まってしまう。
『上司』の方が広義で、対象を特定しづらくなるからだ。
 でも、『湯けむり旅情』さんは『部長さん』とコメントしてきている。
 ただの思い込み? それで書き間違えたとか?
 そうかもしれない。それだけのことかもしれないけどーー。
 なにより私自身が、以前から『湯けむり旅情』さんのことを部長っぽいと感じていた。
 その印象は、誤魔化しきれない。
 一度狂った鼓動がさざなみを起こし、私の胸に波紋となって広がっていく。
 私は必死に冷静を保ちながら、過去寄せられた『湯けむり旅情』さんのコメントを探してみた。
 そして、私自身が部長と交わした言葉の数々と照らし合わせてみる。
 海外事業部で自分が『鬼神』と恐れられていることを、部長は知っていた。
 他の誰かから耳にしたのかもしれないと思っていたけど、私もブログに書いていた。
 個人面談で話せなくなった私に、『教えて』という言葉を使って引き出してくれた。
 それは、ブログの読者さんが、意見を言えずに悩んでいた私にくれたアドバイス。
 海外事業部総勢五十五人を覚えるのに、一週間もあれば十分だという言葉から続いた会話に、私は確かに既視感を覚えた。
 私が総合職の先輩の無茶振りな仕事に困ってたことも、そもそも私が上手く自己主張できない性格なのも、『湯けむり旅情』さんなら知っている。
 彼女が実は湯浅部長だとしたらーー。
「っ……!」
 自分で導きかけた回答に焦り、私は机に突っ伏した。
 嘘、嘘。絶対、ただの思い違い!
 自分にそう言い聞かせて、なんとか否定しようとした。
 だって『湯けむり旅情』さんは女性のはず。
 いや、それは私が勝手にそう思ってただけかもしれないけど。
 部長が私のブログを読んでいたなんて偶然、確率的に奇跡でしかない! 
 ……それも、絶対ないとは言い切れないけど。
 問題はそこじゃない。
 もし本当に『湯けむり旅情』さんが部長だったとしたら……今まで私、ブログになにを書いてきた?
 それを、全部知られているってことになる。
「嘘嘘嘘……っ!」
 あまりに居たたまれなくて、ジタバタしたくなる。
 心臓は早鐘のように打っていて、頭にまでガンガン響き渡った。
 急いでパソコンをシャットダウンすると、ほとんどダイブするようにベッドに飛び込み、頭から布団を被る。
 どうしよう……。
 このままじゃ、ブログなんか書けない。
 でも更新が途絶えたら、がっかりする読者さんがいるかもしれない。
『湯けむり旅情』さんも、楽しみにしていると言ってくれたのに。
 まさに今日、湯浅部長から立派に成長したと言われたばかりなのに、彼女の期待を裏切ったら、また湯浅部長に失望されてしまう――。
 混乱のあまり、思考回路がこんがらがって、自分でもよくわからなくなってきた。
 とにかく、私が急にブログをやめたら、少なからず心配してくれる人がいるのが現状。
 それなら、確かめなきゃ。
 怖いけど、緊張するけど、恥ずかしいけど、真相を確認しないと。
『湯けむり旅情』さんが湯浅部長と同一人物ではないと証明できれば、なにも問題ないのだから。
< 83 / 104 >

この作品をシェア

pagetop