虐げられていた偽りの姫は(自称底辺の)最強魔術師に甘やかされる
 もちろん、ソフィアがシャーロットの紅茶カップを欲している理由は、デザイン云々の話ではない。それでも、シャーロットからヒ素を遠ざけるためには、自分が失礼な人間になることでしか方法が思い浮かばなかったのだ。

「あなた……! なんてことを口にしているの!」

 招待客のひとりの女性が、ソフィアに向かって憤慨する。あり得ないことだと言わんばかりか、その顔は真っ赤だ。周囲も何事かと様子を見ていたが、ひとりが先陣を切って怒りをあらわにしたためか「とんだ失礼な人」と口々にソフィアを責め立てる。

 頭の中では、ルイスへの評判がこれで落ちてしまうかもしれないという不安が過った。どんなことがあろうと、失態だけは犯さないようにしようとしていたが、人の命が関わっていれば、そうも言っていられない。

「申し訳ございません……今だけ、たった一度でいいのです。そちらの紅茶をお渡しいただけませんか」

 ソフィアは必死だった。ルイスの大切な人であるシャーロットにヒ素入りの紅茶を飲ませないために。周囲は、なおもソフィアを責め続けたが、それを制止したのはシャーロットだった。

「こういう余興も必要ねえ? なかなかないお遊びだわ、ありがとう」

 そうして、シャーロットは微笑みながらカップに口をつけた。

「待ってください! そこには毒が……!」

 ソフィアの願いも虚しく、直後、カップが床に落ちた音が響く。すぐにシャーロットが一緒になって倒れ込む。
 悲鳴が続いていた。目の前で起こっていることがまるで信じられないかのように、慌てふためく周囲。そんな中で、真っ先に動いたのはソフィアだった。

「シャーロット様、失礼します」

 駆け寄り目を閉じる。シャーロットの体内に回ろうとしている毒を自分に移すイメージを何度も繰り返す。
 お願い、うまくいって。シャーロット様を死なせるわけにはいかない。
 自分を救ってくれたルイスを傷つけてしまうことになる。
 力がうまく機能しているのか、次第に手先が痺れてくる。やがて全身の力が入らなくなった。ソフィアはその場でどさりと倒れた。

「ソフィア様!」

 廊下に立っていたエミリーが異変に気付き客間に入ると、変わり果てたソフィアが横たわっていた。なんてことを。自分がついていながら。誰か医者を、そう訴えようと周囲を見ると、その目はとても冷めたものだと気付く。

「罰が当たったのよ」「そうよ、どこの馬の骨かもわからない人間がルイス様やシャーロット様にお近づきになろうとするから」

 シャーロットの付き人たちが慌てて救命活動をしようと躍起になる。その隣でソフィアは、まるでいないものとして扱われている。
 駆け回る人間たちに「邪魔だ」と蹴られ、「やめてください!」とソフィアに駆け寄る。
 自分がいない間、一体何があったというのだろうか。ソフィア様と何度も呼びかける。なんとかまだ呼吸はあるが、ひどい汗をかいている。このままでは本当に死んでしまうかもしれない。その恐怖から身動きひとつ取れないでいると──

「代わってくれ」

 颯爽と音もなく現れたのは、ここにいないはずのルイスだった。その後ろにはマージがいる。
 ソフィアを前にして取り乱すどころか、その表情は至って冷静だ。エミリーは、ああ、と思う。この人は今、とても怒っていらっしゃる。

「ル、ルイス様……申し訳ありません。私がついていながらソフィア様が……お医者様をすぐに」
「医者を呼ぶ必要はないよ」

 ルイスの声音は静かなものだった。

「ルイス様……! この女は神によって裁きを受けたんです」

 招待客のひとりが声をあげた。ルイスによく思われたいがために、今起こった出来事を詳細に語らなければという使命感に駆られている。

「シャーロット様の紅茶カップを突然ねだったのです。しかも執拗に。とても悪質でしたわ。危険な女です、どうかお近くに置かれるのは控えたほうがよろしいんじゃないでしょうか」

 ルイスに好意があるのは明白だった。ほかの招待客もまた、ソフィアを責めたときと同じように、我先にとことの顛末を語りたがった──シャーロットを除いて。

「……そう、それはとても残念だ」

 ルイスは悲しそうにソフィアを見つめた。誰もが、ソフィアの追放を願った。もう二度と顔など見たくない。このままいっそ死んでしまえばいいのよ。今もなお苦しんでいるソフィアに、招待客全員がそう思っていた。

「まさか、こんなにも人がいるというのに、ソフィアしか異変に気付かないなんて」

 ルイスはソフィアの手をそっと握った。その瞬間、グリーンの光がソフィアを包み込む。魔術は、口で唱えなければ発動しないということは常識だった。しかし今、ルイスの魔術は唱えずとも発動した。

 ルイスは人前で魔術は使わないことで有名だった。パーティーでどれだけ簡単なものでいいからと要求されようが、それを笑顔でのらりくらりと交わしてきたのだ。

 周囲は初めて見るルイスの魔術に魅了されていた。光がとても綺麗なのだ。一切の濁りのないエメラルドグリーン。魔術力が高い人ほど、発動する光は綺麗なものになると言われている。そして、我に返るのだ。ルイスが放った言葉に。

「そうね、まさか自分で毒を飲もうとするなんて……とても強い人なのね」

 シャーロットは慈しむように、ソフィアの手を握る。
 彼女には全てがわかっていた。自身の紅茶に毒が盛られていることに。それでも、誰も気付かなければ、どうだって対処はできたのだ。仮に飲んだとしてもルイスが魔術で助けてくれただろう。
 今回のお茶会では、ソフィアを含め、招待客全員をテストしていた。信頼に値するのかどうか。そしてそのテストに本当の意味で合格できたのは、ただひとり、ソフィアだけだったのだから。

 片手にルイス、その反対にシャーロットから手を握られている。あれだけ苦痛で歪んでいたソフィアの顔色は、穏やかに眠っている顔へと変わっていた。倒れた際、苦しみながらも身を挺して守っていたのはシャーロットの紅茶カップだ。その手は今、シャーロットによって回収されている。

「……ソフィア、よく頑張ったね」

 ルイスは尊いものを呼ぶようにしてソフィアの額に口づけを落とす。そんな光景を目の当たりにしていた招待客は、ルイスにとってソフィアがいかに大切なのかということを思い知らされる結果となった。そして、

「みなさま、本日は起こしていただきありがとうございます。今後二度と、あなたたちを招待することはございません。もちろん、それぞれとのお仕事でのお取引も遠慮させていただきますわ」

 シャーロットは終始、微笑んだまま招待客全員を自身の城から追い出した。そして今、残されたのは、ソフィアを抱きかかえようとするルイスの姿だ。

「愛情深いと、ソフィアに逃げられてしまいますよ」

 からかうようにルイスに声をかけた。
 ルイスは少し苦笑いを浮かべながらも、しっかりとソフィアを抱きかかえた。「それでも、彼女のためなら」と静かに答える。

 ルイスのソフィアへの愛は異質だと、身近な人間ならば誰もが思っていた。なにせ、ただのお茶会ですら、そこにソフィアの権限はない。ルイスの許しがあって、初めてソフィアは出席できるのだ。それは過保護過ぎやしないのか。それはルイスもわかっているようだ。シャーロットは彼の横顔を見て、喉元まで出ていた言葉を全て飲み込んだ。

 シャーロットは満足そうにうなずき、二人を見守るようにして部屋を出て行った。ソフィアを抱きかかえたルイスは、彼女の安らかな寝顔を見つめながら、そっと抱きしめた。

 自分のことを後回しにしてしまう彼女の健気さは愛おしく、そして危険だ。つい自分勝手な魔術を、彼女にかけてしまいそうになる。自分の命を疎かにしないように、そして自分の元から離れていこうとしない呪文を。

「……ソフィア、頼むからもう、自分を苦しめるようなことはしないでくれ」
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