虐げられていた偽りの姫は(自称底辺の)最強魔術師に甘やかされる
 ルイスは湖をじっと見ていたが、ふっと切り替えるように微笑んだ。

「すまない、ソフィアとデートをしているというのに」

 話したくないのか、もしくは話せないのか。
 どちらにせよ、ルイスが進んで話したいというような顔をしていない。それならば、無理に聞き出そうとはせず、ただ彼の側にいることが正解のような気がする。静かに寄り添うことが、今の彼にとって必要なことなのかもしれないと感じていた。



 ボートはソフィアの知らない土地へとゆっくりと到着した。湖岸に降り立つと、目の前には活気に満ちた市場が広がっていた。色とりどりのテントが立ち並び、商人たちが賑やかに商品を宣伝している。

 ソフィアは目を輝かせながら周りを見渡した。新鮮な野菜や果物、手作りの工芸品、美しい布地や装飾品などが所狭しと並んでいる。人々の笑顔や談笑が飛び交い、その場の雰囲気はとても和やかだった。

「ここはどこなのでしょう? とても栄えていますね」

 ソフィアが尋ねると、ルイスは微笑んで答えた。

「ここは湖のほとりにある市場だよ。毎週この時期になると、各地から商人たちが集まってくるんだ。今日は特別な日だから、君に見せたくて」

 ソフィアは驚きと興奮を隠せなかった。こんなに賑やかで美しい場所を訪れるのは初めてだ。

「こんな素敵な場所を見せていただけるなんて、本当に嬉しいです」
「何か欲しいものがあれば、遠慮してはいけないよ」

 二人は市場を歩きながら、さまざまな店を見て回った。手作りのアクセサリーを見つけては、互いに似合うものを選び、香ばしいパンや甘いお菓子を味わった。
 市場の喧騒と人々の温かさに包まれていると、ふと、建物の間にある細い通路が気になった。陽の光が当たらないそこは、活気ある風景とは別世界のように思う。
 よく見れば、幼い少女たちが座っている。その服はとても汚れていて、みな同じものを身に着けていた。首と足には見覚えのある鉄の塊。ソフィアの心臓が締め付けられるような感覚が走った。彼女たちが背負っているものが何か、すぐにわかる。かつて自分も同じような境遇にいたからだ。

 呼吸が浅くなっていく。手足が痺れ、身体中が重くなっていく。過去の辛い記憶が鮮明に蘇り、胸の中に広がっていった。

「ねえ、ソフィア──」

 次はどこに行こうか。そう声をかけようとしたルイスだったが、彼女の顔が真っ青になっているのを見て言葉を失った。ソフィアの視線の先を見て、ルイスもすぐに事態を察した。彼の表情が一瞬険しくなったが、すぐに冷静さを取り戻し、ソフィアに優しく語りかけた。

「ソフィア、僕を見て」

 ルイスの声が遠くから聞こえた。彼の優しい手が肩に触れ、その温もりが現実へと引き戻してくれる。ソフィアは震える声で答えた。

「あ……ごめんなさい。あの子たちが、私の過去と重なって」

 チャップマン家に雇われるまで、本当に幸せだった。愛されていると子どもながらに実感できるほど恵まれていた。そんな環境が、一夜にして壊れていったのだ。

「ソフィア、ゆっくりと呼吸をしよう。そう、吸って、吐いて。繰り返すんだ。大丈夫、君は今、僕と一緒にいるんだから」

 ルイスはソフィアの意識が呪いに引っ張られないように必死だった。涼しい顔を見せながらも、呪いにソフィアを取られてたまるものなのかと躍起になっている。
 甦る過去の痛みが深い傷跡を残している中、ソフィアはルイスの助言通りに深呼吸を繰り返した。少女たちの姿を見て、自分の過去が突然蘇ってきたことに驚きと恐れを感じていたが、ルイスの声で落ち着きを取り戻す。

「ソフィア、思い出してほしい。過去の痛みが今を苦しめるのは、その強さゆえだ」

 私が強い? そんなはずはない。いつだって虐げられ、そして守られてばかりだというのに。そんなソフィアの心の声を見透かすように、ルイスは言葉を重ねた。

「君がただ強い証拠だよ、ソフィア。その過去を乗り越えようとする君の強さが、今の君を支えているんだ。君はただの使用人じゃない。君は僕の大切な人だ」

 ルイスの言葉がソフィアの心を温めた。彼女は再び深呼吸をすると、少しずつ、身体の痺れが和らいでいくのを感じる。

「ありがとうございます……とても楽になりました」
「それはよかった」
「ですが……」

 ソフィアは少女たちのことが気がかりだった。このまま去るわけにいかない。けれど一緒に逃げることができない。枷は彼女たちを扱う商人や荷台に繋がっている。ならば、もう話をつけるしかない。

「ソフィア?」

 ルイスの呼びかけを背に、ソフィアは商人へと近付いた。距離が縮まるほど、奇妙な香りが漂う。なんだろう、この匂いは。まるで意識を削がれてしまうようなものだった。自分を保つことが難しい。少女たちの瞳も、ぽっかりと穴が開いたように見える。仄暗く、どこを見ているかわからない。

 ますますこのままではダメだ。「あの……」ソフィアは勇気を持って商人に声をかけた。濁った目がソフィアを捉えた。

「なんだ、商売の邪魔をするなら帰れ」
「お許しをください。その、少女たちを手助けしたいのです」

 ソフィアは少しでも商人の心を動かそうと試みた。商人は不快そうな表情を浮かべ、興味を持たずに首を振った。「お前みたいなものが何ができるというんだ。これは商売だ。それ以上でも以下でもない」
 ソフィアはがっかりしつつも、決してあきらめようとはしなかった。少女たちのために何かできる方法を探さなければと、頭を悩ませる。

「なら、私を引き換えに少女たちを解放してください」
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