虐げられていた偽りの姫は(自称底辺の)最強魔術師に甘やかされる
* * *
「フィレンツェ男爵」
「マージ、もう外に出たんだからいつも通りでいいさ」
「……では、ルイス様」
「ん?」
「もう外に出られたんですから、変身を解かれてはいかがですか?」
「ああ、それもそうだな」
ルイスがぱちんと指を鳴らすと、真っ黒だった髪は白銀のきれいな髪へと様変わりし、顔を覆っていた髭もさっぱりとなくなった。暑苦しいローブをばさりと脱ぎ捨てると、付き人のマージが拾った。
「マージ、君もいつもの姿に戻るといい」
ルイスが振り返れば、そこには女性の姿をした──人間はおらず、すでに本来の姿である精霊の状態へとマージは戻っていた。ちなみにマージは男だ。
「仕事がはやい」
「お褒めの言葉ありがとうございます」
マージは執事らしいスーツを身に纏い行儀正しく頭を下げる。抜かりのない男だなとルイスはちらりとマージの背後を見る。
「チャップマン家ですか?」
「あれは怪しいな」
「例の件でしょうか」
例の件、例の件、例の件。再三出てくる例の件とは、チャップマン家が扱う商品についてのことだった。
「まっくろだ。そりゃあもうどぶだよ」
元々チャップマン家には不穏な噂があるとの報告を受けていた。その内容とは、特別高い数値を持つ魔術師(美少女)を売春しているのではないかとの噂だった。
「ただ不思議なのは、優秀な魔術師が大人しく売春の商品になるだろうか。魔術であんなおっさん、いくらでもなるだろうに」
「ルイス様、口が悪くなってます」
「おや失礼。くそじじいだったか」
「……」
はは、と笑う主人に、マージは呆れた目で眺める。この男、ずいぶんとご立腹みたいだ、と心の中で呟く。
「たしかに、その件については謎のままですね」
「うん、まだ調査は必要だ。三日後にでもまた出向くと伝えておいてくれ」
「ええ……ですがルイス様。またあの格好になられるのですか?」
「あの格好?」
「フィレンツェ男爵、という男です」
「不満か?」
「不満ではなく……ルイス様の剣術のお師匠様にそっくりなような……」
「気のせいじゃないか?」
悪意がある、とマージはため息をつく。
幼少期からかなり厳しく指導されたせいか、事あるごとに師匠の姿にアレンジを加え、あちらこちらで悪意あるモノマネを実施する。師匠もあまり表に出る人ではないから、バレる確率は少ないにしても、よほど恨んでいるのだなということが垣間見えて仕方がない。
「お師匠様はあんなもっさりとお髭など生えていないじゃないですか……」
「だから気のせいだと言ってるだろう。あれは僕のオリジナルだ」
そう言って、また誰かになりすますときも、悪意あるモノマネをして自身の師匠をいじるのだろう。もうすぐ二十歳という節目を迎えるというのに大丈夫だろうかとマージはこっそり頭を抱える。
「それよりマージ。僕は見つけてしまったかもしれない」
そんなマージとは対照的に、ルイスの頭の中にあるのは、壁越しに伝わってきた微かな魔力だった。あれは、覚えがある。もう何年と前のものだけど、まだ残っていた。
「……よかった」
「なんの話ですか?」
「変装がバレなくてよかったという意味だよ」
そうではない。それでもルイスは口にしなかった。
見つけたのは、ほかでもない、あのきれいな宝石。
* * *
「今日のお客様はフィレンツェ男爵様で……肌も髪も髭も真っ黒でどっか胡散臭そう……って、だめだめ。本音は必要ないんだから、えっと」
一方その頃ソフィアは、新しい客人リストを自身のぼろいノートに書き溜めていた。忘れないよう、すぐに記録に残すことがいつしか日課になっていた。
「用意された珈琲には一度も手をつけなかった、と。もしかして紅茶の方がよかったのかな……次からは珈琲なし、で」
そのとき、コンコンとノック音が聞こえ振り返る。
「休憩中にごめんね」
顔を出したのは、今朝ぶりのエライザだった。怪我の後遺症もないようで、元通りに歩けている。
壁掛けの時計を見ると、時刻は十四時をまわっていた。この時間、ソフィアは小休憩として三十分だけ休むことが許されるが、エライザの場合は一時間遅れで休憩が与えられているはずだった。
「どうしたんですか?」
「……逃げてきたの」
「え」
深刻そうな顔つきのエラはとても冗談を言っているようには見えない。
「逃げてきたって……誰から」
「……旦那様よ」
よく見ればエラの手は小刻みに震えている。咄嗟にソフィアは自分の手を重ね、ぎゅっと握る。
「な、何があったんですか?」
就業中に持ち場から離れることは強く禁止されている。そんなエライザが今、ソフィアの部屋にいるというのは重大違反だ。ソフィアよりも長くこの家に従えているエライザがそれを知らないはずがない。
「……」
彼女は何も言わない。ただ、大きな瞳からは、ぽろり、と大粒の涙がこぼれる。
ひとまずソフィアは、彼女の肩を抱き、不揃いな椅子に座らせた。
時計を見る。ソフィアが許されている時間は残り十分だった。けれどその後、どうしたらいいのだろう。この十分で解決できるような問題なのだろうか。
ソフィアはエライザが口を開くまで根気強く待つことを決めた。それ以外残されていたような気がしたのだ。
そうして無言の時間を三分きっかり過ごしたあと、彼女がようやく口を開いた。
「奥様が、今日の夜はご不在なんですって」
そのことはソフィアも理解していた。ご友人の家でパーティーがあると言っていたのを思い出す。
「奥様に何かあったんですか?」
「……いいえ」
ならば、旦那様──と言いかけた瞬間、背筋が凍るような恐怖を覚えた。
「それって……あれですか」
言いかけて、けれども言葉にできず、最終的には濁す形になってしまった。それでも彼女には伝わったようで、こくりと控え目にうなずいた。
「部屋に……来なさいって」
「……っ」
それがどういうことなのか、世間知らずのソフィアでも理解した。
奥様がいない。その時間、部屋に来いと命じた。つまりは──。
「私……旦那様と寝るなんて……そんなの、そんなの絶対できないわ」
最後の方は声も震え、叫びのように発せられた。ソフィアは口元を手で覆った。なんてことを。カルメン嬢だっているというのに。
「どうしましょう、ソフィア。今も逃げてしまって、持ち場に戻るなんてことも……それに旦那様に見つかりでもしたら」
こんな風に嘆き悲しむエライザを見るのは初めてだった。使用人としての基礎を一から教えてくれたのは彼女だ。いつだってソフィアのよき姉であり、家族同然のような存在でもあった。
そんな彼女が涙を流しながら怯えている。そのことがソフィアには堪えられなかった。
時計は休憩が終わる一分前を指していた。エライザの手を再度ぎゅっと握り直す。
「大丈夫です。私が……どうにかします」
「フィレンツェ男爵」
「マージ、もう外に出たんだからいつも通りでいいさ」
「……では、ルイス様」
「ん?」
「もう外に出られたんですから、変身を解かれてはいかがですか?」
「ああ、それもそうだな」
ルイスがぱちんと指を鳴らすと、真っ黒だった髪は白銀のきれいな髪へと様変わりし、顔を覆っていた髭もさっぱりとなくなった。暑苦しいローブをばさりと脱ぎ捨てると、付き人のマージが拾った。
「マージ、君もいつもの姿に戻るといい」
ルイスが振り返れば、そこには女性の姿をした──人間はおらず、すでに本来の姿である精霊の状態へとマージは戻っていた。ちなみにマージは男だ。
「仕事がはやい」
「お褒めの言葉ありがとうございます」
マージは執事らしいスーツを身に纏い行儀正しく頭を下げる。抜かりのない男だなとルイスはちらりとマージの背後を見る。
「チャップマン家ですか?」
「あれは怪しいな」
「例の件でしょうか」
例の件、例の件、例の件。再三出てくる例の件とは、チャップマン家が扱う商品についてのことだった。
「まっくろだ。そりゃあもうどぶだよ」
元々チャップマン家には不穏な噂があるとの報告を受けていた。その内容とは、特別高い数値を持つ魔術師(美少女)を売春しているのではないかとの噂だった。
「ただ不思議なのは、優秀な魔術師が大人しく売春の商品になるだろうか。魔術であんなおっさん、いくらでもなるだろうに」
「ルイス様、口が悪くなってます」
「おや失礼。くそじじいだったか」
「……」
はは、と笑う主人に、マージは呆れた目で眺める。この男、ずいぶんとご立腹みたいだ、と心の中で呟く。
「たしかに、その件については謎のままですね」
「うん、まだ調査は必要だ。三日後にでもまた出向くと伝えておいてくれ」
「ええ……ですがルイス様。またあの格好になられるのですか?」
「あの格好?」
「フィレンツェ男爵、という男です」
「不満か?」
「不満ではなく……ルイス様の剣術のお師匠様にそっくりなような……」
「気のせいじゃないか?」
悪意がある、とマージはため息をつく。
幼少期からかなり厳しく指導されたせいか、事あるごとに師匠の姿にアレンジを加え、あちらこちらで悪意あるモノマネを実施する。師匠もあまり表に出る人ではないから、バレる確率は少ないにしても、よほど恨んでいるのだなということが垣間見えて仕方がない。
「お師匠様はあんなもっさりとお髭など生えていないじゃないですか……」
「だから気のせいだと言ってるだろう。あれは僕のオリジナルだ」
そう言って、また誰かになりすますときも、悪意あるモノマネをして自身の師匠をいじるのだろう。もうすぐ二十歳という節目を迎えるというのに大丈夫だろうかとマージはこっそり頭を抱える。
「それよりマージ。僕は見つけてしまったかもしれない」
そんなマージとは対照的に、ルイスの頭の中にあるのは、壁越しに伝わってきた微かな魔力だった。あれは、覚えがある。もう何年と前のものだけど、まだ残っていた。
「……よかった」
「なんの話ですか?」
「変装がバレなくてよかったという意味だよ」
そうではない。それでもルイスは口にしなかった。
見つけたのは、ほかでもない、あのきれいな宝石。
* * *
「今日のお客様はフィレンツェ男爵様で……肌も髪も髭も真っ黒でどっか胡散臭そう……って、だめだめ。本音は必要ないんだから、えっと」
一方その頃ソフィアは、新しい客人リストを自身のぼろいノートに書き溜めていた。忘れないよう、すぐに記録に残すことがいつしか日課になっていた。
「用意された珈琲には一度も手をつけなかった、と。もしかして紅茶の方がよかったのかな……次からは珈琲なし、で」
そのとき、コンコンとノック音が聞こえ振り返る。
「休憩中にごめんね」
顔を出したのは、今朝ぶりのエライザだった。怪我の後遺症もないようで、元通りに歩けている。
壁掛けの時計を見ると、時刻は十四時をまわっていた。この時間、ソフィアは小休憩として三十分だけ休むことが許されるが、エライザの場合は一時間遅れで休憩が与えられているはずだった。
「どうしたんですか?」
「……逃げてきたの」
「え」
深刻そうな顔つきのエラはとても冗談を言っているようには見えない。
「逃げてきたって……誰から」
「……旦那様よ」
よく見ればエラの手は小刻みに震えている。咄嗟にソフィアは自分の手を重ね、ぎゅっと握る。
「な、何があったんですか?」
就業中に持ち場から離れることは強く禁止されている。そんなエライザが今、ソフィアの部屋にいるというのは重大違反だ。ソフィアよりも長くこの家に従えているエライザがそれを知らないはずがない。
「……」
彼女は何も言わない。ただ、大きな瞳からは、ぽろり、と大粒の涙がこぼれる。
ひとまずソフィアは、彼女の肩を抱き、不揃いな椅子に座らせた。
時計を見る。ソフィアが許されている時間は残り十分だった。けれどその後、どうしたらいいのだろう。この十分で解決できるような問題なのだろうか。
ソフィアはエライザが口を開くまで根気強く待つことを決めた。それ以外残されていたような気がしたのだ。
そうして無言の時間を三分きっかり過ごしたあと、彼女がようやく口を開いた。
「奥様が、今日の夜はご不在なんですって」
そのことはソフィアも理解していた。ご友人の家でパーティーがあると言っていたのを思い出す。
「奥様に何かあったんですか?」
「……いいえ」
ならば、旦那様──と言いかけた瞬間、背筋が凍るような恐怖を覚えた。
「それって……あれですか」
言いかけて、けれども言葉にできず、最終的には濁す形になってしまった。それでも彼女には伝わったようで、こくりと控え目にうなずいた。
「部屋に……来なさいって」
「……っ」
それがどういうことなのか、世間知らずのソフィアでも理解した。
奥様がいない。その時間、部屋に来いと命じた。つまりは──。
「私……旦那様と寝るなんて……そんなの、そんなの絶対できないわ」
最後の方は声も震え、叫びのように発せられた。ソフィアは口元を手で覆った。なんてことを。カルメン嬢だっているというのに。
「どうしましょう、ソフィア。今も逃げてしまって、持ち場に戻るなんてことも……それに旦那様に見つかりでもしたら」
こんな風に嘆き悲しむエライザを見るのは初めてだった。使用人としての基礎を一から教えてくれたのは彼女だ。いつだってソフィアのよき姉であり、家族同然のような存在でもあった。
そんな彼女が涙を流しながら怯えている。そのことがソフィアには堪えられなかった。
時計は休憩が終わる一分前を指していた。エライザの手を再度ぎゅっと握り直す。
「大丈夫です。私が……どうにかします」