虐げられていた偽りの姫は(自称底辺の)最強魔術師に甘やかされる
「ああ、だめだな、僕は。さすが底辺魔術師だ。油断するとついあなたのことを忘れてしまう」

 言葉とは裏葉に、反省の色を微塵も見せないルイスは、相変わらずソフィアの手を懇切丁寧に握りしめながらアニョロに笑いかける。

「底辺だなんて……そんな、あなた様のようなお方が」

 アニョロは知っている。もちろんアニョロでなくても、ルイスの実績は風の噂程度でも一度は耳にしたことがある人間が多い。
 あの伝説と謳われる黒龍の伐採にたった一人で挑み、見事勝利したという功績が。そんな彼を讃え、街の者はこう呼ぶ。白銀のルイス──またの名を最強魔術師の冷酷非道王子、と。

「ではとりあえず、年功序列ということで──」

 ふふ、と笑みのこぼれみが落ちたようなその声で、すらりとした手が伸びる。シルバーの指輪が親指に……と思ったところで、その延長線上で見えたルイスの横顔にソフィアは息を呑んだ。

 穏やかだった表情が今ではすっと熱を失い、暖色というものを知らないような顔へと変身を遂げている。けれどこれは魔力ではない。ルイス自身が持ち合わせている、冷気と殺気。

 ソフィアは目を奪われ、その瞳から離れられなかった。
 ルイスはホコリを払うような仕草で手を動かすと、アニョロの足が直立不動のまま動き出した。

「ひっ……足が勝手に」

 そのままアニョロはひとりでに開いた応接室の扉から追い出されるような形で姿を消す。ちらりと一瞬、カルメンが聞き耳を立てていた光景が目に入る。彼女の一直線に伸びた目はルイスを見て固まっていた。

「よし、邪魔者は消えた。これでゆっくり話ができるね」

 アニョロを邪魔者だと片付けたルイスは、ソフィアに向き直ると、暖色の色を取り戻していた。

「あ、あの、話と申しますと……」

 しかしソフィアにはこうしてルイスと対面し話すことがなにもない。なぜ自分は見つかったのか。自分の存在が知られているのか。ソフィアは理解できないでいた。そんなソフィアにルイスはうんうんとうなずく。

「わからないのも無理はない。これからじっくりと時間をかけて仲を深めていこう」
「仲……?」
「ちなみに僕のことは知ってるかい?」

 知らない、と答えるには勇気がいる。旦那様のお客は全て把握してなくてはならない。

「えっと……フィレンツェだんしゃ……ではなく、ルイス様で」
「……そうか、知らないのか」
「も、申し訳ございません」
「いいんだ。大したことじゃない。それより早速で悪いんだけど──」

 にこり、と弓のように上がった口角。男性とは思えない美しさを兼ね備えたルイスは、とびっきりの顔で言った。

「あなたを買い取らせてください。言い値を出しましょう」

 それが冒頭の部分である。そして、ソフィアの困惑はいよいよ頂点に達してしまう。

「あなたがほしいと思ったから」

 自分は決して表の光を浴びてはならない。表舞台には立ってはならないのだ。にも関わらずなぜ自分はこの人に、ほしいと、甘く囁かれているのだろう。

 ソフィアはそこでハッとする。もしやこれは罠ではないだろうか。自分は試されているのでは? 実は旦那様もグルで、私がこの人についていくと言い出した瞬間にはとんでもない罰が下されてしまうのではないか。

 そんな恐ろしい思考が脳裏を掠めた瞬間、ソフィアの視界がクリアになる。だらりと伸びた前髪をルイスが右に流したのだ。

「金色の瞳」

 ルイスが呟き、咄嗟にソフィアは勢いよく顔を背ける。
 これまで気色悪い目と罵られ生きてきた。ならばいっそ隠してしまった方がいいと、ずっと前髪で他者から見えないように務めてきたというのに。

「きれいだ」

 ぽつり、落とされたそれは、ソフィアの心の奥底にじんわりと広まっていく。
 今、きれい、だと。きれいだと、そう言われたのだろうか。
 ソフィアはまるで時が止まってしまったかのように固まり、ルイスは「おや」とマージを振り返る。

「僕、なにかまずいこと言ったかな」
「ええ、まあ、タラシではあるかもしれません」

 そんな二人のやり取りなどソフィアは全く聞こえず、自分の心へ落とされたやさしさに胸を打たれている。

「そうだ、名前を聞いてもいいかな?」

 ずいっとルイスがソフィアの顔に近づけた。

「……名前は」

 しばらくチャップマン家の人間としか話さなかったソフィアは、外部の人間との接触に慣れていなかった。よって、言葉はすんなりと出てくることもなく、できる限り使用人としての職務を全うしようと喝を入れる。

「ハンナです」
「それはここの名だろう? ほんとうの名を教えてほしいんだよ」
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