恋するだけでは、終われない / わたしの恋なら、終わらせた
第二話
……なにかが、間違っている。
昼休みの、放送室。
海原くんがわたしに、やけにやさしいのだ。
いや、連載も五作目ともなると。
登場人物も増えて、わたしの『出番』が減っているので。
やさしい海原くんとのパートがあるなら、それはそれで構わない。
ただ、そのやさしさが。
……きょうはいつもと違って、調子が狂う。
「み、三藤先輩!」
「ど、どうしたの?」
鉄分補給だと、そんなに張り切ってトマトジュースの缶を渡されても。
わたしはお弁当には、熱いお茶が好きなのに……。
もしかして『なにかのショック』で、忘れたのかしら?
「あの……冷たいものだと、『この時期』はお腹が冷えそうで……」
そもそもトマトジュースが苦手だったと。
思い出してくれるかと、伝えたところ。
「えっ! お腹が冷えるんですかっ!」
「えっ?」
「し、失礼しましたっ!」
今度はあたたかいものを買ってきますといって、部室を飛び出してしまって。
「……飲むパキスタンカレーと、飲むフライドポテト?」
「はい! あとトマトジュースのホットもありました!」
残り物のパンを必死に値切っていた佳織先生と、購買で会ったからと。
ちゃんと『相談』して、買ってくれたらしいけれど。
お弁当のおかずは煮物よ。
絶対にどれも、合わないわよね……。
「ね、ねぇ。海原くん?」
……お願いだから、無理してお茶を淹れないで。
沸騰したてのお湯を使うのは、間違いよ。
それにその茶葉は。
そもそも甘いもののお供に用意した紅茶なので……放課後にしてもらえない?
「失礼しましたっ! 紅茶のカフェイン、よくないですよねっ!」
「い、いえ。そうじゃなくてね……」
「氷を入れて、僕がちゃんと飲み切ります!」
あの……それなりに……高い茶葉なのよ。
もったいない飲みかたは、しないで欲しいのに……。
「あの! 毛布とか、枕とかいりますか?」
「えっ……?」
「藤峰先生、たまには洗ってからロッカーに入れてますんで!」
どうやら、海原君によれば。
ほとんど見えなくなりそうなほど色あせた、アザラシ柄のブランケットは。
一応きれいなものらしい。
でも枕だという、ジャムの染みだらけのくたびれた物体は……。
とても洗濯済みには、思えないのよね……。
なんだかチグハグな、そのやさしさの理由が。
わたしにはまったく、わからない。
おまけに、朝からなんだか。
ほかのみんなもわたしのことで。
なにか『勘違い』をしているような気がする。
……結局、玲香がお茶を淹れてくれて。
ようやく、落ち着いたと思ったのだけれど。
海原くんが、今度はカレンダーを眺めたまま。
真剣な顔で考え込んでいる。
「ねぇ海原君、なにし・て・る・の?」
姫妃がみんなを代表して質問すると。
「いえ、うちの部員はみなさん女性ばかりなので……」
海原くんがそう答えた、次の瞬間。
いきなり夏緑がむせはじめて。
「色々、配慮すべきことが多いというか。多すぎというか……」
続いて、由衣の動きが固まって。
なんだか急に、顔を赤くしている。
「ウナ君、もうやめて!」
「そ、そこで妄想ストップ!」
なんなの、あなたたち?
一年生同士で、なにかあったの?
するとちょうど、放送室の扉が軽いノックと同時に開いて。
「海原君さぁ、さっきのはお腹に『たまる』やつだったわ〜」
「冷えているお腹には、キツイからやめといたほうがいいわよ」
そういいながら、佳織先生と響子先生がやってきて。
いつもならすぐに、なんで間違えるのかといいそうな海原くんが。
「ええっ……」
一瞬、困ったような声をあげると。
「乙女心は枯れてたとしても……先生たちも、追加しないとまずいのか……」
ブツブツと大胆なことを口にする。
「は?」
「えっ?」
一気に低い声になった、ふたりのことなど気にかけず。
十二月のカレンダーを持ったその手が、微妙に揺れはじめる。
「……そうねぇ、楽しみよねぇ」
「はい、アドバイスありがとうございます!」
最後に、ふたりで談笑しながら。
寺上校長と美也ちゃんがやってくると。
「わ、わからない……」
……ついに海原くんが、頭を抱え込んだ。
「海原君。どうしたの?」
「な、なにかあったの? またトラブル?」
「い、いえ……都木先輩はともかく……」
「て、寺上先生は……」
「あ、ああっ……アンタさぁ……!」
「ウ、ウナ君! やめてっ……!」
由衣と夏緑が、思わず飛び出して。
「ちょっと、そのマグカップ!」
「わたしのジャムがっ!」
「熱いよ、そのス・ー・プ!」
みんなが一斉に動いて、かろうじて食べ物の安全が確保されたあとで……。
……規則正しい、赤い線が引かれたカレンダーが。
海原くんの手元から、はらりと落ちた。
「……九本の実線と、最後だけ薄い点線?」
玲香は、成績がいいだけあって分析が素早くて。
「ちょ、ちょっと……!」
「え、ええっ……」
いったいどこまで引っ張るの、一年生のこのふたり?
「あれ? 月子だけ名前入り。あとなに……二日目くらいか? ……だって」
美也ちゃん、チェックが細かいわよね……。
……って、えっ?
わたしの中で、朝から続くこの違和感。
妙なやり取りのすべてが、点から点線、そして実線へとつながっていく。
「わたしは……『この時期』は落ち着かないのよ……」
ええっ。ま、まさか……。
「二十五日周期と仮定し……」
あぁ、陽子が。
メモ書きの続きを、読み上げてしまった。
「この『非常に薄い点線』って、もしかして……」
寺上校長が、絶望的な顔で海原くんを見て。
ついに『女子』がみんな、気づいてしまった……。
「バカなの? どこまでバカなの! バカだからバカなの?」
……怒る役は、由衣にまかせておいて。
「無駄に気づかいされてもねぇ……」
「本気で考えてそうだけど、方向性が間違ってるよね……」
乙女たちはみんな、頭を抱えている。
「そんな安定してたら苦労しないって! これだから男子はダメだよねぇ〜!」
自分の『周期』について。
ひとりハイテンションなあの先生は、どうでもいいわよね。
それと……。
「わたしだけ、『薄い点線』扱いよ……」
「海原君だもん……許してあげようよ……」
残りふたりの教師は……そっとしておこう。
「……三藤先輩が、『生理痛』だと聞きまして」
「それは勘違いだし、口にしないで!」
放課後、小さな声で。
改めて謝罪する海原くんに、そう答えたけれど。
きょうの海原くんは、意外なくらいしつこくて。
「……じゃぁ『この時期』は落ち着かない、というのはなんですか?」
「えっ?」
「そ、それは……」
口々におしゃべりしていたはずのみんなが、一斉に聞き耳を立ててくる。
「な、なんでもないわよ!」
みんなに、嘘だろうという顔をされたけれど。
それでもわたしは。
その日いっぱい、知らぬ存ぜぬを貫いた。
……そして迎えた、日曜日。
「月子、お買い物お願いね」
母親に頼まれて。
わたしはスーパーに、食材を買いにいく。
そのわずか五分後に。
海原くんが、わたしの家にやってきたなんて。このときのわたしは。
……想像さえも、していなかった。