妖精渉る夕星に〜真摯な愛を秘めた外科医は、再会した絵本作家を逃さない〜
「ごめん、部室に部外者を入れるつもりはなかったんだ。ただ急に来て……あっ、小説を書きに来たんだよね、ごめん、邪魔をして」
「ううん、大丈夫。気にしないで。でも珍しいね、放課後の部室に菱川くんが来るなんて……」

 そう言ったものの、やはり先ほどの二人の会話が気になって意識が散漫になっていた。ふらふらっと部室に入ると、打ち付ける鼓動を落ち着けるために椅子に座る。しかし指先が強張り、なかなかページを開くことが出来ない。

 普段はクラスでもひっそりと過ごしているため、愛佳のようなタイプと交わることはなかったし、むしろ怖くて近寄ろうとはしなかった。

「あの……菱川くんは……文芸部に入っていることを秘密にしているの?」

 北斗は花梨の隣に腰を下ろすと、ため息をついた。

「親が結構厳しくて。言うと辞めさせられる可能性が高いからね。辞めないにしても、部室に行くのを禁止されたり、部屋の本は没収されるかも。まぁそうなったら図書館に行けばいいんだけど」
「そんな……」
「でも学校に家族がいるわけじゃないし、普通に部室に来ると思うよ。だって俺の唯一の安心できる場所だから」

 彼の言葉が嬉しくて、花梨は思わず頬が緩んだ。それは花梨にとっても同じだった。北斗がいる部室が、こんなにも温かくて落ち着ける場所になっている。

 その時だった。突然窓から風が吹き込み、カーテンが静かに揺れると、二人の間にしばしの沈黙が流れたのだ。

 カーテンの揺れが落ち着き、花梨と北斗の視線が絡み合う。

「妖精が通り過ぎた……」

 不意に花梨がポツリと呟いたのを聞いた北斗は、不思議そうにこちらを見た。

「妖精?」
「そう。お喋りをしていて、突然沈黙が訪れる瞬間ってあるでしょ? あれって、妖精が通り過ぎたからなんだって」
「へぇ、初めて聞いた」
「本当? 女の子の中ではよく言うよ」

 すると机の上に置かれていた花梨の手に、北斗の手が重ねられる。突然のことに驚いた花梨は、目を見開き、体が硬直した。触れ合った部分が熱を帯び、息が苦しくなり、心臓は早鐘のように打ち始める。

「俺が文芸部を辞めたら、山之内さんは寂しいって思う?」
「そ、そんなの当たり前だよ……この部室に菱川くんが来ないなんて想像出来ない……」

 むしろ想像したくなかった。彼がいるのが当たり前で、彼と話すことが楽しいと思っていたから、そんな日常がなくなってしまうことは悲しい。
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