辣腕クールな脳外科医は、偽りの婚約者を甘く堕として妻にする

鼓動の高まり

(そろそろ紅葉も始まってるし、秋らしい料理を考えたいなぁ……)
 沙耶は読んでいた料理雑誌をバッグに入れて、終点の駅で電車を降りた。改札を出て、午前十時前の過ごしやすい気温を感じながら、足早にカフェ・プラチナを目指す。
 沙耶がプラチナで働きはじめてから、もうすぐ一カ月になる。
 カフェで働くのは初めてで、ちゃんと接客できるかな、お客さまに満足してもらえるメニューを考案できるかな、などと不安でいっぱいだった。
(でも、涼花さんもチエさんたちも優しくて親切だし、プラチナで働けて嬉しい)
 再就職先が決まらず、省吾にも振られ、実家にも頼れない。途方に暮れていたあのとき、公園で泣いていた沙耶を見つけて、心配して声をかけてくれた匠真にも感謝している。
 彼は、時間はまちまちで毎日ではないけれど、よく食べに来てくれる。お客さまのことを詮索するのはよくないから訊いていないが、きっと職場が近いのだろう。
(今日のランチプレートのメインはロールキャベツだけど、小早川さん、ロールキャベツは好きかなぁ。一晩寝かせてるから、味しみしみでおいしいはずだし、ぜひ食べに来てほしいな)
 そんなことを考えながら横断歩道を渡り、〝準備中〟と札のかかった赤いドアを開けた。
「おはようございまーす」
「おはよう、沙耶ちゃん」
 すでに来ていた涼花が、キッチンから顔を覗かせた。
「今日もいい天気だねぇ。仕事を投げ出して遊びに行きたくなっちゃいそう」
「とか言って、涼花さんは誰よりも仕事熱心じゃないですか」
「わかるぅ?」
「わかりますよ」
「あはは」
 涼花の笑い声を聞きながら、沙耶は更衣室に入った。ロッカーを開けて棚にバッグを置き、薄手のコートを脱いだ。プラチナではシャツとカフェエプロンとキャスケットは決まっているが、ボトムスは自由だ。
 沙耶は動きやすさ重視でパンツスタイルが多く、今日はアンクル丈のブラウンのストレッチパンツを穿いている。
 シャツを着替えてエプロンの紐を結んでいたら、バッグの中のスマホが軽やかな電子音を鳴らした。
 一瞬、ドキッとする。
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