後悔しない、ひとつのこと
また、慰安室の景色がはっきりと目に入ってきた頃。

スマホの着信音が鳴った。

.........爽のだ。

取りに行こうと、俯いていた顔を上げる。

でも真矢が私の手にそっと何かを置いた。

鳴り続ける、爽のスマホを。

「ありがとう.....」

それだけ言って、画面を見る。

発信者は、''木浪 廉''

友達なのか彼氏なのか、わからなかった。

その事実が、爽との関係を突きつけてくるようだった。

震える手で通話ボタンを押し、ゆっくりと耳に近づける。

『もしもし爽?学校来ないの?もう終業式始まるよ』

何も言えなかった。

なにかが喉に引っかかった。

でもこの子にも、言わなきゃいけないんだ。

爽はもういない.....そう。

『爽?何かあったの?大丈夫?今から行くよ』

電話越しに聞く声は焦っていた。

爽を心配して。

言わないわけにはいかない。

言うしかない。

1度、深呼吸をする。

「...すいません、お話したいことがあります」

『........え?爽じゃない、ですよね』

困惑したその声に、すぐに答える。

「はい。〇〇病院に来ていただけませんか」

『病院....爽は大丈夫なんですか』

大丈夫なんかじゃない。

それは言えなかった。

「来て、いただけますか。学校が終わってからでいいんです」

この子も学生なのだから、休ませるわけにはいかない。

そう思うなんて.....私はちゃんと母親だったのだろうか。

『いえ、今から行きます』

その子は、そう言って電話を切った。

爽が無事かは、もう聞かずに。

あの子は一瞬も迷わなかった。

「七瀬....」

真矢がゆっくり歩み寄ってくる。

「あの子にも.....言わなきゃいけないの。苦しめてしまうだろうけど、爽のことはきちんと知っていて欲しい。こんなおばさんのわがままに付き合わせるなんて......」

突然、顔が上を向く。

真矢が向かせたのだ。

「そんなことない。......話は聞こえていたよ。あの子は本当に心配してた。なのに事実を言わない方が酷じゃないか?」

それでもまだ心に渦巻くモヤは払えない。

「でも、知らない方が良かった.....そう思うかもしれないでしょ?」

「そうだけど.......言われないより、言ってくれた方が後悔はしないんじゃないかな。あくまでも俺の考えなんだけど」

そうかもしれない。

そう思うことに賭けることにした。

なんとなく.....あの子は知るべきだとも思ったから。
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