女装メイドの従者と、婚約破棄された悪役令嬢は、幸せな結末を目指します

第百一話 二人の距離

「なんで、私なんですか? 私なんかを、好きになったのですか?」

 イザベラからのその質問に、アレクサンドは口を閉ざした。いざ真正面から言われると、何故なのか説明するのも難しい。上手い言葉が見つからない。

「……誰かの笑顔が見たいと、そう思ったのは生まれてはじめてなんだ」

 なんとかひねり出したのは、その言葉だけだった。こうして言葉にしてみると、なんと幼稚な話なのか。恥ずかしくなり、アレクサンドは顔を赤らめた。人前でそんな顔をしたことはない。動機も激しく、手が震える。

(緊張、しているのか……? この僕が?)

 思わず口元を押さえた。余計なことを口走ってしまいそうで。
 王子として生まれてきて、人前に出ようと、他国の王族と会おうと、こんなに緊張することは無かった。それが、目の前の彼女に本音を吐露するだけで、こんなに緊張してしまうとは。

「殿下は、私の笑顔が見たいのですか?」

 イザベラは不思議そうにこちらを見ている。小さく首を傾げる仕草も、きゅっと胸元で握り締めた手も、どうしようもなく愛らしく見えてしまうのだからしょうがない。
 一度イザベラから視線を逸らせると、アレクサンドは息を吐いた。目線を逸らすなど、負けた気分だ。しかし、その相手がイザベラなら嫌な気持ちにならないのだから不思議だ。

「そうだ。それは、そう……なんだ、が。くそっ! こういう時、何て言えばいい?」

 完全に混乱してしまい、思わず暴言を吐いてしまう。髪をぐしゃぐしゃとかき上げると、ぼさぼさの髪の隙間からイザベラが見えた。恥ずかしくなり、再び目を逸らしてしまう。

「すまない。その……なんて言えばいいか」

「ふふっ」

 小さな笑い声に、思わず視線を向ける。イザベラは面白そうに笑っていた。

「申し訳ありません。そんなに取り乱している様子は、はじめて見たもので。アレクサンド殿下も、そんな風になるんですね」

 楽しそうな、明るい笑み。それは、ちょうど昨年見ていた、彼女が周囲に向ける笑顔そのものだった。以前までは、その笑顔は周囲に向けられ自分には向けられていなかったのに。それが今、こうして自分の方に向けられている。ずっと欲していたそれに、アレクサンドは思わず席を立つ。イザベラは驚いていたが、彼女が逃げられないように席を立つ前に彼女の手を掴み、押さえてしまう。

「で、んか……?」

 アレクサンドの急接近にイザベラは顔を赤くする。気にせずアレクサンドは手に力を込めた。

「好きなんだ。どうしようもなく」

 低い声で呟かれた言葉に、イザベラは背筋が泡立つのを感じた。これは聞いてはいけないと、本能的に察知して体が動く。しかし、アレクサンドの押さえる力が強く身動きが取れない。

「こんなに心乱されたのは始めてなんだ。普段は無為に注目されるのは面倒だし嫌なのに、君にだけは僕を見ていて欲しいと思う。去年の学園祭で、僕自身にも楽しんで欲しいと言った君の言葉が忘れられなかった。だから今年は、僕が主催する最後の学園祭である今回は、もっともっと楽しいものであるよう気を配った。今までなら却下するような馬鹿馬鹿しい企画だって、通してしまった」

 ぼさぼさになった青い髪の隙間から、金色の目が覗く。それは真っすぐにイザベラを射抜いていた。

「……その方が、君が楽しいかと思って。楽しんでくれるかと、そう思って」

 真正面から突きつけられる好意を、イザベラはなすすべなく受け止めるしかなかった。

「これ以上、どう伝えたらいい? どうしたら伝わる?」

 縋るような視線を向けながら、アレクサンドの指先がイザベラの頬に当たる。頬にかかった髪の一房を、アレクサンドは徐に掴み、自身の口元に寄せた。神経の通わないはずなのに、髪に触れたアレクサンドの柔らかい唇の感触が伝わるような気がする。



「イザベラ・ナンニー二……君が好きなんだ」



 優しく微笑むアレクサンドの表情は、今までの余裕のある笑みとは全く違っていた。それを受けて、イザベラの全身の力が抜けてしまう。椅子からずり落ちそうになる体を、アレクサンドが慌てて支える。抱きしめられると、アレクサンドの鼓動が聞こえてくる気がした。

(温かい……アレクサンドも、生きた人間なんだ)

 柔らかな皮膚の感触と、温かな体温に脈動。それは生きている人間にしかない物だ。イザベラは、相羽優子は、ようやく目の前の男性が生きた人間なんだと、心から理解できた気がした。

「私も、です」

 なんだか不思議な感情に、アレクサンドの胸元にそっと手を当てる。間近で鼓動を感じていると、ぎゅっと胸が締め付けられるような感覚になる。何か胸につかえたものを吐き出したくて、イザベラは顔を上げてアレクサンドの顔を見つめた。



「私もアレクサンド殿下が好きですわ」



 微笑みながらそう答えるイザベラに、アレクサンドの手に力が入る。さらにぎゅっと抱きしめられて、イザベラは驚いてアレクサンドの服の裾を握り締めた。

「……同意と捉えて良いんだよな?」

 耳元で囁かれた言葉を確認する前に、イザベラの顎に手が添えられる。

「んっ⁉」

 唐突に重ねられた唇に、イザベラは目を見開く。そのキスは、永遠にも思えるほど長く感じた。さすがに息がもたなくなり口を離した時には、イザベラは恥ずかしさでアレクサンドを見ることができなった。
 相羽優子だった時も、イザベラ・ナンニー二になってからも。キスなど一度もしたことが無い。正真正銘の、ファーストキスだ。

「この後の予定は? 学園祭を、一緒に見て回ろうか」

 いつもの調子を取り戻したのか、体を離したアレクサンドはイザベラの手を取りながら何事も無かったかのように言う。相手を見ていられず目を逸らしたのは、今度はイザベラの方だった。顔の赤みが引かず、心臓がバクバクと音を立てていてうるさい。

「担当は、午後なので……一時間くらいなら」

 顔を背けたまま呟くイザベラの言葉に、アレクサンドは満足げに笑いながら頷く。彼の返事は頬へのキスだった。

「じゃあ、その一時間は僕がもらうよ」

 その言葉に、イザベラは体を硬直させたまま頷くしかなかった。



 それから一時間程が経ち、リリアンナとヤコブが会議室前で合流した。ドアを開けて室内に入ると、嬉しそうに笑うアレクサンドが二人を出迎えた。

「交代の時間か。それじゃあ、行こうか。イザベラ」

「……は、はい」

 促されて立ち上がると、アレクサンドはイザベラの目の前に手を差し出す。スマートなエスコートに、イザベラは何も言えず彼の手を取った。顔を真っ赤にしながら俯き、リリアンナ達の方に視線を向けることもない。
 そのまま通り過ぎて部屋を出ていった二人を、リリアンナとヤコブは呆然と見送ることしかできなかった。

「……なんか、上手くいったようね?」

「そのようですね」

 もう逃げなくなったイザベラの様子を見て、二人はそう判断するしかなかった。
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