女装メイドの従者と、婚約破棄された悪役令嬢は、幸せな結末を目指します

第百十八話 作戦

 メイド長が見たのは一面の黒。
 着替え途中の私に黒いインクがかかり、ロミーナのドレスにも跳ねてしまっている。私はまだ薄着のこともあり、ドレスは明らかに中まで染み、露出していた肌も汚れてしまっているのが分かる。ロミーナは幸いドレスだけだが、床に真っ黒なインクが黒い染みを作っていた。それを発生させたのは明らかに躓いて転んだような姿勢で床に四つん這いになっているシヴァだ。

「何故、こんなことに……」

「シヴァを叱らないで下さい!」

 呆然としているメイド長に私は駆け寄った。彼女の手を取りすり寄れば、彼女の手も服もインクが移って黒く染まる。

「先程の大きな音で驚いて転んでしまっただけなんです! 私がお父様に手紙を書きたいから、用意をお願いしたばっかりに……」

「申し訳ありませんお嬢様」

 シヴァは黒い手袋をつけた手で顔を覆っている。裏ではどんな表情をしているか分からないが、床に座り込み俯いている彼の姿は泣いているようにも見えるだろう。

「……ええっと、事態は分かりました。この部屋は掃除させますので、モンリーズ公爵令嬢様は着替えと風呂を。お嬢様は自室で着替えて来て下さい。お風呂に入っている間に、新しい部屋を用意します」

「感謝いたしますわ!」

 困ったように頭を抱えながら言うメイド長。それでもなんとか部下たちへの指示を行う。二人のメイドが私を連れ出し、お風呂へ案内する。私の後を、素早く衣服にインクがかかっていないか確認してもらったシヴァが追いかけてきた。
 ロミーナは誰にも付き添われることなく一人で部屋を出ていく。この屋敷で、彼女が身の回りのことを全て一人でやっていることは共有済みだ。着替えを手伝うメイドなどいないだろう。

 これで、屋敷の視線は私達の方へ向き、ロミーナは一人になれる。

 廊下で別れた際に彼女と目が合う。少しだけ口角を上げた彼女は、こくりと頷いてくれた。





***





「いったいどういうつもりなんですか!」

 男の怒号が響き渡った。彼はアマトリアン辺境伯。ロミーナの父親だ。
 つい先ほどまで、食堂でロミーナやリリアンナ、シルヴィアが来るのを妻と共に待っていたのだが、大きな音がしたと思ったら執事が駆け込んで来た。曰く、ヴォルフガングが馬車を横転させてしまったと。

 そんな話を聞き様子を見に来ると、目の前にはとんでもない光景が広がっていた。
 辺境伯が大事にしていた一番高価で派手な馬車。それが無残にも横倒しになっていたのだ。その隣には、昨日会ってからずっと気に食わなかったヴォルフガングと言う男。彼が困ったように笑っている。

「いや、申し訳ない。先程猫が目の前を通り過ぎましてな。踏まないように避けていたらぶつかって、転んでしまったのです」

 ぺこぺこと辺境伯にお辞儀をしつつ、彼はそう弁明する。

「そもそも、ここは玄関と反対方向ですよね⁉ 何故こんなところを歩いていたのです!」

「ワシは日課で毎朝走っていましてな。ちょうど良いから、そちらの騎士の皆様と一緒に体力づくりに励んでおったのです!」

 ヴォルフガングは景気よく笑うが、辺境伯はそれどころではないだろう。怒りで顔を真っ赤にし、わなわな震えている。ヴォルフガングの後ろには、確かに辺境伯の騎士達がヘロヘロの状態で地面に倒れ込んでいた。

「申し訳ありません……見張りのためにも追いつこうと努力はしましたが、彼の足が早すぎて……振り切られたと思ったら、こんなことに……」

 鎧を着たままだから、尚のこと辛かっただろう。ヘロヘロの騎士達の中から立ち上がった副団長が、辺境伯にそう報告した。鎧を着たままあの大男と同じスピードで走らなければならなかったのだ。息も絶え絶えだが、それでも会話ができるだけさすが副団長と言う所だろう。

「とにかく! すぐに馬車を元に戻せ!」

 辺境伯が叫ぶも、周囲の騎士や従者達は困惑している。騎士達は過酷な走り込みで体力が残っていない。残るのは従者や執事たちだが、彼らに大きな馬車を持ち上げる力はない。

「……あの、我々は馬車を持ち上げたことなどありません。騎士達が回復するまで待つのは」

「つべこべ言わずにやれ!」

 執事の一人が助言するも、辺境伯は話を聞かない。そんな様子を見たヴォルフガングが手を上げた。

「では、ワシが元に戻そう」

「貴様はもうどこにも触れるな!」

 怒りが頂点に達したのか、辺境伯は振り返りながら殴るようにヴォルフガングに腕を突き出す。しかし、さすがそんな弱弱しい拳が当たるはずがない。ヴォルフガングがひょいと避けると、彼の体はすぐ背後にあった他の馬車に当たった。

「あ」

 その声は誰が出したのか。気付けば並んでいた馬車がドミノ倒しのように倒れていき、被害にあった馬車は合計5台になってしまった。
 唖然としている面々の中、ヴォルフガングは困ったように頬を掻く。

「いや~……すまん」

 辺境伯は怒りすぎて、もう声が出せなかった。





***





 お風呂に入っているとドアがノックされた。浴室はカーテンで区切られており、入浴中の私をシヴァが見ることは無いし、誰かが入室しても見られることはない。一人で入りたいからと、シヴァ以外のメイドは全員下がらせてしまった。ここには今、二人だけだ。
 私の指示でシヴァがドアを開ける。カーテン越しなので誰が来たかは分からないが、予想はできた。

「クラリッサ・アマトリアンです」

 その名前と声は辺境伯夫人だ。ここまでは概ね予想通り。私はカーテン越しだから見えないだろうと、にんまり微笑んだ。

「朝から騒がしくして申し訳ありません」

「いえ、不測の事態でしたので。体が汚れたとのことですが、他に怪我はありませんでしたか?」

「大丈夫です。ご心配ありがとうございます」

 一見、優しく優雅な貴婦人に見えるだろう。外面は良いが、いつもはロミーナを虐めているのだから騙されてはいけない。

「新しい部屋は、以前の部屋の向かい側に用意しています。荷物も移しておくよう頼みましたので」

「まあ、助かりますわ」

 何も知らないかのように、私は話を続ける。

「それで、あの大音ですが……モンリーズ令嬢のお連れ様が原因だったようなのですけど」

 夫人の声に少し怒りの色が混じるのを感じた。





***





 メイド達は客室を掃除していた。ある程度片付けた後は、指示通り新しい部屋にお客様の荷物を移動させなければならない。

「あれ……?」

「どうしたの?」

 必死に絨毯の染み抜きをしている先輩メイドの横で、比較的新人のメイドが困ったように声を出す。

「お客様の荷物、もう全てタンスや引き出しに入れられているようなの」

「そんなの普通じゃない。そんなこと言ってないで早く荷物を運んでよ」

「そうじゃなくって」

 戸惑いながら、新人メイドはしどろもどろに話し出す。

「あれがないのよ」

「あれ?」

 彼女の様子に、周囲のメイドは不思議そうに首を傾げた。



「荷物を入れていたはずの、旅行鞄がどこにもないの」
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