この夜の意味〜声にできない恋を隠したら、完全無欠な御曹司の本気スイッチ入りました〜(旧:RISKY〜不敵な御曹司との恋は避けるべき〜)
救うものと救われるもの
東条宗高のそばで刻々とそのチャンスをうかがう。ここ最近はそれが私に課された役目だった。
でもそれを失ったいま、私には何も残っていない。この三か月がまるで私しか見ていない夢か何かだったのだろうか。そう思うくらいに当たり前のように元の日常だけが戻ってくる。
でもお酒の匂いが少し残った、この紺色のジャケットだけがそうではないと私を慰めてくれるみたいだ。私はこれを着て、また大きな仕事を一つやり遂げなければいけない。
まだ春の訪れも満足に味わえきれていないのに、夏の気配を感じさせる湿っぽい夜だった。北里社長がいの谷に来るはずの時刻になろうとしている。
いの谷は数々の著名人も御用達の高級料亭だ。様々な駆け引きが行われてきた場所だけあって、そこまで辿り着くには大通りから一本細い路地に入らなければならない。建物の周りも木々に囲まれ、決して人目に触れないようなつくりになっている。
普通ならそう思うだろう。だが記者からすれば、木陰こそシャッターを切る絶好のスポットだ。案の定、風ひとつない閑静な路地に、似つかわしくない奇妙な物音が聞こえてくる。きっとそこにいるのは、北里側が雇ったとされる記者に違いない。
私はそしらぬ顔をしてその前を通り過ぎ、昨日のように東条の護衛として女将に話を通す。
「東条から伝言を預かっておりまして」
「そうでしたか。既に北里様もお待ちですので。どうぞ、こちらへ」
計画通りに物事が運んでいることにまずは胸を撫で下ろす。着物を着ているためか女将の歩幅は小さく、その後ろを歩く私の歩幅も自然と小さくなる。歩くスピードはゆっくりなのに、それぞれの部屋の様子は和紙張りの障子で隠されていて、中まで把握することはできない。
そのゆったりとした足取りが、ぴたりと一つの部屋の前で止まる。
「北里様。東条様の御付きの方がお見えです」
「そうか、通してくれ」
外からはうかがい知ることができなかった座敷の様子が目の前に広がる。
「では、私はこれで失礼いたします」
完全に密室となったこの部屋には歴史を感じる漆塗りの座卓に、和座椅子が4つ向かい合って並べられ、そのうちの一つには白髪交じりの髪をした和装姿の初老が鎮座する。
そしてまるで品定めするかのように私をジロジロと見てくる。
「君は、初めて見る顔だね?」
「お初にお目にかかります。今日は東条より伝言を預かって参りました」
「東条の坊ちゃんは来ていないのかね?」
「お時間を変更いただいた手前、大変申し訳ないのですが、東条はどうしても都合がつけられそうになく…」
彼が来ないと分かれば、しびれを切らして大人しく帰ってくれるだろう。と、私は障子のそばから一歩も動かなかったわけだが…その男は立ちあがろうともせず、お酌を持つ手も一向に止まる気配がない。
「そうか。では、僕からも一つ頼みごとをしようかね」
「頼みごと、ですか?」
「僕の娘、麗花を婚約者として勧めてやって欲しいんだ」
でもそれを失ったいま、私には何も残っていない。この三か月がまるで私しか見ていない夢か何かだったのだろうか。そう思うくらいに当たり前のように元の日常だけが戻ってくる。
でもお酒の匂いが少し残った、この紺色のジャケットだけがそうではないと私を慰めてくれるみたいだ。私はこれを着て、また大きな仕事を一つやり遂げなければいけない。
まだ春の訪れも満足に味わえきれていないのに、夏の気配を感じさせる湿っぽい夜だった。北里社長がいの谷に来るはずの時刻になろうとしている。
いの谷は数々の著名人も御用達の高級料亭だ。様々な駆け引きが行われてきた場所だけあって、そこまで辿り着くには大通りから一本細い路地に入らなければならない。建物の周りも木々に囲まれ、決して人目に触れないようなつくりになっている。
普通ならそう思うだろう。だが記者からすれば、木陰こそシャッターを切る絶好のスポットだ。案の定、風ひとつない閑静な路地に、似つかわしくない奇妙な物音が聞こえてくる。きっとそこにいるのは、北里側が雇ったとされる記者に違いない。
私はそしらぬ顔をしてその前を通り過ぎ、昨日のように東条の護衛として女将に話を通す。
「東条から伝言を預かっておりまして」
「そうでしたか。既に北里様もお待ちですので。どうぞ、こちらへ」
計画通りに物事が運んでいることにまずは胸を撫で下ろす。着物を着ているためか女将の歩幅は小さく、その後ろを歩く私の歩幅も自然と小さくなる。歩くスピードはゆっくりなのに、それぞれの部屋の様子は和紙張りの障子で隠されていて、中まで把握することはできない。
そのゆったりとした足取りが、ぴたりと一つの部屋の前で止まる。
「北里様。東条様の御付きの方がお見えです」
「そうか、通してくれ」
外からはうかがい知ることができなかった座敷の様子が目の前に広がる。
「では、私はこれで失礼いたします」
完全に密室となったこの部屋には歴史を感じる漆塗りの座卓に、和座椅子が4つ向かい合って並べられ、そのうちの一つには白髪交じりの髪をした和装姿の初老が鎮座する。
そしてまるで品定めするかのように私をジロジロと見てくる。
「君は、初めて見る顔だね?」
「お初にお目にかかります。今日は東条より伝言を預かって参りました」
「東条の坊ちゃんは来ていないのかね?」
「お時間を変更いただいた手前、大変申し訳ないのですが、東条はどうしても都合がつけられそうになく…」
彼が来ないと分かれば、しびれを切らして大人しく帰ってくれるだろう。と、私は障子のそばから一歩も動かなかったわけだが…その男は立ちあがろうともせず、お酌を持つ手も一向に止まる気配がない。
「そうか。では、僕からも一つ頼みごとをしようかね」
「頼みごと、ですか?」
「僕の娘、麗花を婚約者として勧めてやって欲しいんだ」