『沈黙のプリズム ―四人の約束―』

第1章「春風の校庭で」

春風が、校舎の窓を軽やかに叩いた。
新学期のざわめきが満ちる廊下の向こうで、誰かが笑い、誰かが呼びかける。
桐山瑠奈は、手にしたプリントを抱えながら、ゆっくりと教室に入った。

「おはよう、瑠奈ちゃん」
窓際から声をかけたのは来栖麗華。
黒髪を艶やかに巻き、淡いベージュのリボンを結んだその姿は、
まるで雑誌から抜け出したようだった。

「おはよう、麗華ちゃん」
「席替え、見た? また悠真くんの近くだよ、瑠奈ちゃん」
「え……」
胸が小さく跳ねる。

振り返れば、教室の中央で一条悠真がクラスメイトに囲まれていた。
笑うときに少しだけ眉尻が下がる癖――それを見るたびに、心臓の音が早まる。
彼の声はよく通り、どこにいてもすぐわかった。

「おーい、桐山」
悠真が手を上げた。
「これ、君のプリントじゃない?」
差し出された一枚。指先が触れた一瞬、瑠奈の頬に熱がのぼる。

「あ、ありがとう……」
「気をつけてな。風で飛ばされるぞ」
何気ない言葉。それだけなのに、嬉しさと切なさが混ざって胸に溶けた。

「やっぱり、優しいよね」
後ろで麗華が囁く。
「でも、ああいうの、誰にでも言うのよ」
「……知ってる」
瑠奈は微笑んだが、心は少しだけざわついた。



昼休み。
桜の花びらがまだ残る校庭のベンチで、悠真と拓也が並んでいた。
拓也は体育の後らしく、制服の上着を脱いで肩にかけている。

「お前さ、麗華のこと気づいてる?」
「え? なにが?」
「お前に気がある」
悠真は箸を止めた。
「そんなわけ――」
「あるよ。見りゃ分かる」
拓也はため息をついた。
「それに……桐山も、お前のこと見てる」

沈黙。
悠真は、箸の先で弁当の卵焼きをつついた。

「……あいつ、静かだし。俺、何話せばいいか分かんねぇんだよ」
「それ、ただの鈍感」
拓也が苦笑した。

校舎の窓から、そっと覗く瑠奈の姿が見える。
彼女は小さなノートを開き、ペン先を迷わせていた。
タイトル欄には――
《将来の夢:誰かの役に立てる人になりたい》
と、幼い文字で書かれている。



放課後。
夕陽が校庭を金色に染め、グラウンドの端ではバスケットボールの音が響く。
悠真の背中を、瑠奈は静かに見つめていた。
その横で、麗華がわざとらしく手を振る。

「悠真くーん、今日も練習見るね」
「え? ああ、ありがとう」
「ねぇ、瑠奈ちゃんも一緒にどう?」
「ううん、私はいい……」

言葉とは裏腹に、胸の奥では「行きたい」と叫んでいた。
けれどその声は、夕焼けに溶けて誰にも届かない。

瑠奈が帰り支度を始めたとき、背後から拓也が声をかけた。
「また我慢してるの?」
「なにを?」
「言いたいこと。我慢するの、得意だろ」
「……違うよ」
「ほんとに?」

拓也は笑って、瑠奈の頭を軽く撫でた。
その仕草は、兄のようで、けれどどこか切なかった。

「俺はさ、瑠奈が笑ってくれるなら、それでいい」
「……ありがとう、拓也くん」

風が吹き抜け、校庭の桜がざわめいた。
瑠奈の髪が揺れ、頬をかすめた瞬間――
悠真が遠くでこちらを見ていた。
視線が交わる。けれど、どちらも声を出せなかった。

その沈黙の間に、
小さな“すれ違い”の芽が、確かに生まれていた。
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