『沈黙のプリズム ―四人の約束―』
第2章「優しさという距離」
春の光がやわらかく差し込む午後。
校舎裏の桜並木を、瑠奈は一人歩いていた。
風に揺れる花びらが肩に落ちるたび、ふと顔を上げては、
どこかで聞こえるバスケットボールの音に耳を傾ける。
――今日も、練習しているんだ。
遠く、グラウンドで悠真が笑う声が聞こえる。
その隣には、麗華の姿。
彼女はペットボトルを差し出しながら、無邪気に笑っていた。
(また、麗華ちゃん……)
胸の奥が、少しだけ痛む。
わかっている。悠真は誰にでも優しい。
けれど、その「誰にでも」の中に自分が埋もれていくようで、
息が詰まりそうになる。
放課後、図書室。
静かなページの音だけが響く中、瑠奈はプリントを整理していた。
そこへ、軽い足音が近づいてくる。
「桐山、ここにいたんだ」
顔を上げると、悠真が本を抱えて立っていた。
白いシャツの袖をまくり、少しだけ乱れた髪が光を受けてきらめく。
「授業の資料、貸してくれたろ? ありがとう」
「あ……ううん、たいしたことないよ」
「いや、助かった。桐山って、いつも気が利くよな」
そう言って笑う彼の声は、やさしくて――
けれどその優しさが、余計に苦しかった。
「……麗華ちゃんにも、よく言ってるよね」
思わず口をついた。
悠真が瞬きをする。
「え?」
「“気が利く”とか、“助かる”とか。よく言ってるの、聞くから」
「……ああ、そうかも。だって本当に助かってるし」
悪意のない言葉。
だからこそ、心がちくりと痛む。
「……そうだよね」
瑠奈は笑ってみせた。
でも、目の奥の色は晴れない。
数日後。
昼休みの屋上で、麗華が風に髪をなびかせていた。
「ねぇ、悠真くん。来週の文化祭の準備、手伝ってくれる?」
「うん、もちろん」
「嬉しい。じゃあ放課後、資材庫で待ってるね」
その会話を、廊下の陰から瑠奈は見ていた。
麗華の瞳は楽しげで、悠真は何も疑う様子もない。
まるで二人だけの世界みたいに見えた。
そのとき、背後から拓也が現れた。
「……また、見てたの?」
「……違うよ」
「嘘つくとき、瑠奈はいつもまつ毛が震える」
「拓也くん……」
彼の手が、瑠奈の髪に触れた。
「お前の気持ち、あいつは知らない。
でも――俺は知ってる」
瑠奈は俯き、そっと首を振る。
「そんなこと言わないで。」
遠くでチャイムが鳴り、麗華の笑い声が校舎の窓から流れてくる。
瑠奈は、制服の裾をぎゅっと握りしめた。
その日の放課後。
資材庫の前を通りかかると、半開きの扉の向こうから、
楽しげな声が聞こえた。
「ねぇ悠真くん、こっち持って」
「おっと、悪い、重かった?」
「ううん、ありがとう」
箱を受け渡す音。
重なった手。
笑い声。
瑠奈は、足が動かなくなった。
息をひそめ、扉の陰で立ち尽くす。
胸の奥が、かすかに軋んだ。
――どうして、こんなに苦しいんだろう。
やがて扉が開き、麗華が出てくる。
「あら、瑠奈ちゃん。どうしたの?」
「……えっと、プリントを届けに……」
「そっか。悠真くん、優しいからつい手伝ってもらっちゃって」
そう言って笑う麗華の声には、わずかに勝ち誇った響きがあった。
悠真が遅れて出てくる。
「桐山、どうした?」
「ううん、なんでもないの」
微笑もうとしても、唇が震えた。
彼は気づかない。
彼女の笑顔の裏に隠れた、痛みの意味に。
夕暮れの校庭。
風が通り抜け、桜の花びらが舞う。
瑠奈はひとり、噴水の縁に座り、空を見上げた。
橙色の光が頬を染める。
(優しいのに、どうしてこんなに遠いの……?)
心の中でそう呟いた瞬間、携帯が震えた。
画面には“西園寺拓也”の名。
――『今どこ? 迎えに行く』
瑠奈は小さく息をつき、
ゆっくりと返信を打った。
『……光の庭にいるよ』
そのメッセージを送信した時、
背中に沈黙の夜風が触れた。
それは、四人の物語が少しずつ“壊れ始めた”合図だった。
校舎裏の桜並木を、瑠奈は一人歩いていた。
風に揺れる花びらが肩に落ちるたび、ふと顔を上げては、
どこかで聞こえるバスケットボールの音に耳を傾ける。
――今日も、練習しているんだ。
遠く、グラウンドで悠真が笑う声が聞こえる。
その隣には、麗華の姿。
彼女はペットボトルを差し出しながら、無邪気に笑っていた。
(また、麗華ちゃん……)
胸の奥が、少しだけ痛む。
わかっている。悠真は誰にでも優しい。
けれど、その「誰にでも」の中に自分が埋もれていくようで、
息が詰まりそうになる。
放課後、図書室。
静かなページの音だけが響く中、瑠奈はプリントを整理していた。
そこへ、軽い足音が近づいてくる。
「桐山、ここにいたんだ」
顔を上げると、悠真が本を抱えて立っていた。
白いシャツの袖をまくり、少しだけ乱れた髪が光を受けてきらめく。
「授業の資料、貸してくれたろ? ありがとう」
「あ……ううん、たいしたことないよ」
「いや、助かった。桐山って、いつも気が利くよな」
そう言って笑う彼の声は、やさしくて――
けれどその優しさが、余計に苦しかった。
「……麗華ちゃんにも、よく言ってるよね」
思わず口をついた。
悠真が瞬きをする。
「え?」
「“気が利く”とか、“助かる”とか。よく言ってるの、聞くから」
「……ああ、そうかも。だって本当に助かってるし」
悪意のない言葉。
だからこそ、心がちくりと痛む。
「……そうだよね」
瑠奈は笑ってみせた。
でも、目の奥の色は晴れない。
数日後。
昼休みの屋上で、麗華が風に髪をなびかせていた。
「ねぇ、悠真くん。来週の文化祭の準備、手伝ってくれる?」
「うん、もちろん」
「嬉しい。じゃあ放課後、資材庫で待ってるね」
その会話を、廊下の陰から瑠奈は見ていた。
麗華の瞳は楽しげで、悠真は何も疑う様子もない。
まるで二人だけの世界みたいに見えた。
そのとき、背後から拓也が現れた。
「……また、見てたの?」
「……違うよ」
「嘘つくとき、瑠奈はいつもまつ毛が震える」
「拓也くん……」
彼の手が、瑠奈の髪に触れた。
「お前の気持ち、あいつは知らない。
でも――俺は知ってる」
瑠奈は俯き、そっと首を振る。
「そんなこと言わないで。」
遠くでチャイムが鳴り、麗華の笑い声が校舎の窓から流れてくる。
瑠奈は、制服の裾をぎゅっと握りしめた。
その日の放課後。
資材庫の前を通りかかると、半開きの扉の向こうから、
楽しげな声が聞こえた。
「ねぇ悠真くん、こっち持って」
「おっと、悪い、重かった?」
「ううん、ありがとう」
箱を受け渡す音。
重なった手。
笑い声。
瑠奈は、足が動かなくなった。
息をひそめ、扉の陰で立ち尽くす。
胸の奥が、かすかに軋んだ。
――どうして、こんなに苦しいんだろう。
やがて扉が開き、麗華が出てくる。
「あら、瑠奈ちゃん。どうしたの?」
「……えっと、プリントを届けに……」
「そっか。悠真くん、優しいからつい手伝ってもらっちゃって」
そう言って笑う麗華の声には、わずかに勝ち誇った響きがあった。
悠真が遅れて出てくる。
「桐山、どうした?」
「ううん、なんでもないの」
微笑もうとしても、唇が震えた。
彼は気づかない。
彼女の笑顔の裏に隠れた、痛みの意味に。
夕暮れの校庭。
風が通り抜け、桜の花びらが舞う。
瑠奈はひとり、噴水の縁に座り、空を見上げた。
橙色の光が頬を染める。
(優しいのに、どうしてこんなに遠いの……?)
心の中でそう呟いた瞬間、携帯が震えた。
画面には“西園寺拓也”の名。
――『今どこ? 迎えに行く』
瑠奈は小さく息をつき、
ゆっくりと返信を打った。
『……光の庭にいるよ』
そのメッセージを送信した時、
背中に沈黙の夜風が触れた。
それは、四人の物語が少しずつ“壊れ始めた”合図だった。