『沈黙のプリズム ―四人の約束―』

第24章「光の夜明け」

夜明けの街は、雨の名残をほんのりと匂わせていた。
舗道の水たまりに朝日が反射し、ビルの窓が淡く光る。
いつもの通勤時間よりも少し早く、瑠奈はゆっくりと歩いていた。

傘はいらなかった。
空はもう晴れていて、雲の切れ間から金色の光が差している。

(この光を、こんなに穏やかだと思えたのは、いつぶりだろう)

胸の奥に、昨日の夜の言葉が残っていた。

「並んで歩こう」
「うまく言えなくても、言葉で選び続ける」

その約束が、いま足元の歩幅を確かにしている。



会社の前で立ち止まる。
入口の自動扉が開き、
朝の空気と一緒に、懐かしいざわめきが流れ込んできた。

受付の女性が少し驚いたように微笑む。
「桐山主任……お帰りなさい」
「ただいま戻りました」

たったそれだけの会話なのに、胸が熱くなる。
ここに戻ることを、何度ためらっただろう。
でも、今日はもう迷わない。



デスクに荷物を置くと、
机の上に一枚のメモが置かれていた。
《10時に会議室。―一条》
その文字に、自然と微笑みが浮かんだ。

彼の筆跡は、相変わらず几帳面で真っ直ぐ。
それだけで胸の奥が少し温かくなる。



午前十時。
会議室のドアを開けると、悠真が窓際に立っていた。
朝の光が肩を照らし、白いシャツの袖が淡く透けて見える。

「おはようございます」
「おはよう。……戻ってくれてありがとう」

「こちらこそ。呼び戻してくれて、ありがとうございます」

悠真は静かに笑い、
瑠奈に資料の束を渡した。
「今日から、また一緒にやろう。新しいプロジェクト、君と組みたい」
「はい。頑張ります」

その言葉の裏に、“信頼”という見えない糸が確かに結ばれている気がした。



会議のあと、二人は並んで廊下を歩いた。
窓の外には、光に濡れた街路樹。
雨に洗われた葉が、風に揺れている。

「久しぶりに見るね、こんな青空」
「ええ。夜明けのあとって、こんなに眩しいんですね」

一瞬、視線が交わる。
けれど、どちらも言葉を急がない。
沈黙は、もう不安ではなく、
“心を揃える時間”としてそこにあった。



玄関を出ると、
光の庭――あの噴水のある中庭が見えた。
出社前の社員たちが行き交う中、
瑠奈は立ち止まる。

水面に、陽の光が散って跳ねる。
五年前の自分が泣いた場所。
けれど今、その記憶は痛みではなく、
“始まり”として胸の中で静かに輝いていた。

「桐山」
振り向くと、悠真が数歩後ろにいた。
「会議、もうすぐ始まる」
「はい」

一歩近づいて、彼は小さく囁く。
「この光、綺麗だな」
「ええ。……沈黙が、やっと報われた朝ですね」

「そうだな。
 あの夜の約束が、今こうして“光”になってる」

ふたりは並んで噴水を見つめた。
光が跳ね、二人の影をひとつに繋ぐ。



“沈黙が終わる時、それは別れではなく、始まりの合図。”

瑠奈は心の中でそっとそう呟いた。
あの日泣いていた少女はもういない。
いま隣に立つのは、
“声を持つ女性”としての自分だった。

そしてその隣には、
同じ沈黙を越えてきたひとがいる。



朝の光がさらに強くなり、
新しい一日が始まる。
二人は歩き出した。

もう何も言わなくても、
――並んで歩く足音が、未来の約束のように響いていた。
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