「呪いではなく、特性です」ーーASD氷帝の孤独を癒やしたら、自由区の女王への溺愛が止まらないーー
論理的な溺愛の果て
「けっこん? ……どうして……」
「理由は、三つある。第一に、貴方の『システム』。スキルに依存しない、データ駆動型の国家運営。この思想は、個々のスキルに左右され、硬直化しつつある帝国中枢に必要なイノベーションだ。貴方の知識と経験は、帝国全土に応用できる」
カイゼルは、まるで論文を発表するように、淡々と、淀みなく言葉を紡ぐ。
「第二に、政治的安定。貴方を皇后に迎えることで、辺境自由区アークライトと帝国中枢は、強固な絆で結ばれる。アークライトが帝国への反乱分子と見做される危険性も、これで消滅する」
カイゼルは、無表情のまま一歩、リリアンに近づいた。
「第三に、貴方は、俺の『特性』……感覚過敏と情報処理の偏りを、即座に『呪い』ではなく『力』だと見抜いた。貴方は、俺の知覚する世界を理解できる、唯一の人間だ。俺の『目』は、世界のあらゆる事象を分解し、記録する。しかし、俺の力を最大限に活かすには、貴方のような、俺を理解し、かつ言葉に力のある人間が不可欠だ。貴方は、俺と世界を繋いでくれる。……貴方が、欲しい」
「ご自身に必要な、最後のパーツが、私だと」
つまり、恋情はない、ということか。
「そうだ。昨日までの査察は、貴方たちの『システム』の評価だった。だが、今は、違う。俺は、リリアン、貴方自身の価値を認め、対価を支払おうとしている。例えば、他国との外交交渉に、皇后として貴方を伴うことをシミュレーションしてみた……どれほどスムースな交渉になることか」
カイゼルは、リリアンに向き直った。
「対価に、貴方が望むもの全てを与える。富、名誉、権力。貴方が『影』だと述べた、北西地区の完全改修も、帝国の予算で即刻実行しよう。……俺の、隣に来い」
「そんなの求婚じゃない、買収じゃないか! 姉さんを愛してもいない奴に、誰が渡すかっ!」
アッシュの叫びは、一部で的を得ているけれど。
リリアンはもともと貴族令嬢であり、結婚に愛が必須とは考えていない。
……けれど。
「……お断り、いたします」
リリアンの声は、震えていた。
「私は、アークライトの総監です。私の仲間を、見捨てることはできません」
「見捨てろとは言っていない。リリアンは俺と帝都に来て、信頼できる者にアークライトは任せればいい。自治権も、リリアンが望むなら認めよう」
「いいえ!」
リリアンは、立ち上がった。
「私は、この場所で、私の意志で、このアークライトを導く。……貴方にも、帝国にも、渡さない」
リリアンの拒絶に、カイゼルの紫水晶の瞳が、わずかに揺らいだ。
「俺の皇后として生きることを、拒むのか」
「私は……アークライト総監、リリアン・アークライトです!」
「では、貴方が『イエス』と言うまで、俺はここに留まる」
「え……?」
「俺は、帝都には戻らない。このアークライトで、貴方を待つ」
突然の、居残り宣言。 それは、アークライトを揺るがす、新たな混乱の始まりだった。
◇
氷の皇帝が、恋をした。
その噂は、不自然なほどの速さで、帝国中を駆け巡った。……概ね、好意的に。
平和的に、帝国とアークライトが連携していく未来が確定的なものとして、帝国中で語られるようになり……アークライトの幹部たちは、絶望を深めていた。
「アッシュ! 待ちなさい! 待って!」
アッシュが、自由区舎の廊下を走っていく。リリアンの足では、アッシュにとても追いつけない。
アッシュは、護衛騎士をあっさりと跳ね除け、カイゼルのいる客間の扉を、乱暴に開けた。
「何日も居座りやがって……もう我慢ならない! カイゼル・レクス・アドラー!」
アッシュの怒声に、室内にいた側近たちが一斉に振り返る。 カイゼルは、リリアンが書いた『記録院』の運営資料を、熱心に読み込んでいるところだった。
「……何の騒ぎだ」
カイゼルは、アッシュを一瞥しようともしない。その侮辱的な態度に、アッシュの怒りが沸点に達した。
「リリィ姉さんは、お前よりもアークライトが大事だってさ! いい加減、俺たちの土地から、出ていけ。さもなければ」
アッシュは、腰の剣に手をかけた。
「アッシュ! やめて!」
「愚かな」
カイゼルは、顔も上げない。
「腕に自信があるようだが……著しく非合理的だ。感情に任せた暴力は、何一つ問題を解決しない。それどころか、君は反逆罪で処刑され、リリアンの立場を悪化させるだけだ」
アッシュは、剣を引き抜いた。
「姉さんを『道具』みたいに扱いやがって!」
「道具、か。……認識が違う」
カイゼルは、ゆっくりと立ち上がった。
「俺は、リリアンを『理解者』だと認識している。俺の、唯一の」
「だったら、今すぐ帝都に帰れ! お前がいるだけで、政務に支障が生じている!」
「できない相談だな。これは決定だ……俺の生涯の伴侶は、リリアン以外にあり得ない」
「……この、独裁者が!」
「だが、君の指摘は、データとして受理する。俺に剣を向けたことも、許そう。アッシュギル・スペンサー。君の……いずれ終わる、10年来の初恋に免じて」
アッシュが、真っ赤になる。
カイゼルはアッシュに見向きもせず、リリアンに向き直った。
「リリアン。貴方の拒否の論理は、『アークライトを離れられない』という一点にあった。ならば、その前提条件を、変更しよう」
カイゼルは、側近に声をかけ、何か命じたようだった。
「俺が、皇帝だ。どこにいようと、俺が帝国の中心だ」
側近が、震える手で新しい書類をカイゼルに差し出す。
「今、この瞬間より、アドラー帝国の『臨時首都』を、アークライトに定める」
「……な……」
リリアンも、アッシュも、絶句した。
「貴方は、アークライトを離れなくていい。俺が、ここにいれば、全てが解決する。貴方は、アークライトの総監のまま、俺の皇后になればいい。合理的だ」
この男は、どこかおかしいのではないだろうか。本気で、帝国の首都を、こんな辺境に移す、と。
リリアン一人の、ために。
(いや、自閉症スペクトラム症の特徴ならば……理解できる。限局した興味とそれへの囚われ……他の要素を、顧みない)
「……陛下。あまりにも、現実的ではありません。地政学的にも……」
「なぜだ? 帝国の運営は、通信スキルで遠隔指示できる。物理的な距離は、問題にならない。俺の『特性』は、膨大な情報を処理することに最適化されている。ここに俺がいれば、きな臭い動きをしている、西の隣国への抑止力にも、なるだろう」
その紫水晶の瞳には、狂気の色などない。カイゼルは、心の底から、それが最も『合理的』な解決策だと、信じ切っていた。
「こうまでして、貴方が欲しいのだと……何故、理解してもらえない?」
少しだけ悲しそうに、カイゼルが囁いた。
あの夜の、寄る辺ない少年のようなカイゼルの姿が蘇る。
「け、結婚の件は、保留ということで……」
拒絶など、できなかった。
「理由は、三つある。第一に、貴方の『システム』。スキルに依存しない、データ駆動型の国家運営。この思想は、個々のスキルに左右され、硬直化しつつある帝国中枢に必要なイノベーションだ。貴方の知識と経験は、帝国全土に応用できる」
カイゼルは、まるで論文を発表するように、淡々と、淀みなく言葉を紡ぐ。
「第二に、政治的安定。貴方を皇后に迎えることで、辺境自由区アークライトと帝国中枢は、強固な絆で結ばれる。アークライトが帝国への反乱分子と見做される危険性も、これで消滅する」
カイゼルは、無表情のまま一歩、リリアンに近づいた。
「第三に、貴方は、俺の『特性』……感覚過敏と情報処理の偏りを、即座に『呪い』ではなく『力』だと見抜いた。貴方は、俺の知覚する世界を理解できる、唯一の人間だ。俺の『目』は、世界のあらゆる事象を分解し、記録する。しかし、俺の力を最大限に活かすには、貴方のような、俺を理解し、かつ言葉に力のある人間が不可欠だ。貴方は、俺と世界を繋いでくれる。……貴方が、欲しい」
「ご自身に必要な、最後のパーツが、私だと」
つまり、恋情はない、ということか。
「そうだ。昨日までの査察は、貴方たちの『システム』の評価だった。だが、今は、違う。俺は、リリアン、貴方自身の価値を認め、対価を支払おうとしている。例えば、他国との外交交渉に、皇后として貴方を伴うことをシミュレーションしてみた……どれほどスムースな交渉になることか」
カイゼルは、リリアンに向き直った。
「対価に、貴方が望むもの全てを与える。富、名誉、権力。貴方が『影』だと述べた、北西地区の完全改修も、帝国の予算で即刻実行しよう。……俺の、隣に来い」
「そんなの求婚じゃない、買収じゃないか! 姉さんを愛してもいない奴に、誰が渡すかっ!」
アッシュの叫びは、一部で的を得ているけれど。
リリアンはもともと貴族令嬢であり、結婚に愛が必須とは考えていない。
……けれど。
「……お断り、いたします」
リリアンの声は、震えていた。
「私は、アークライトの総監です。私の仲間を、見捨てることはできません」
「見捨てろとは言っていない。リリアンは俺と帝都に来て、信頼できる者にアークライトは任せればいい。自治権も、リリアンが望むなら認めよう」
「いいえ!」
リリアンは、立ち上がった。
「私は、この場所で、私の意志で、このアークライトを導く。……貴方にも、帝国にも、渡さない」
リリアンの拒絶に、カイゼルの紫水晶の瞳が、わずかに揺らいだ。
「俺の皇后として生きることを、拒むのか」
「私は……アークライト総監、リリアン・アークライトです!」
「では、貴方が『イエス』と言うまで、俺はここに留まる」
「え……?」
「俺は、帝都には戻らない。このアークライトで、貴方を待つ」
突然の、居残り宣言。 それは、アークライトを揺るがす、新たな混乱の始まりだった。
◇
氷の皇帝が、恋をした。
その噂は、不自然なほどの速さで、帝国中を駆け巡った。……概ね、好意的に。
平和的に、帝国とアークライトが連携していく未来が確定的なものとして、帝国中で語られるようになり……アークライトの幹部たちは、絶望を深めていた。
「アッシュ! 待ちなさい! 待って!」
アッシュが、自由区舎の廊下を走っていく。リリアンの足では、アッシュにとても追いつけない。
アッシュは、護衛騎士をあっさりと跳ね除け、カイゼルのいる客間の扉を、乱暴に開けた。
「何日も居座りやがって……もう我慢ならない! カイゼル・レクス・アドラー!」
アッシュの怒声に、室内にいた側近たちが一斉に振り返る。 カイゼルは、リリアンが書いた『記録院』の運営資料を、熱心に読み込んでいるところだった。
「……何の騒ぎだ」
カイゼルは、アッシュを一瞥しようともしない。その侮辱的な態度に、アッシュの怒りが沸点に達した。
「リリィ姉さんは、お前よりもアークライトが大事だってさ! いい加減、俺たちの土地から、出ていけ。さもなければ」
アッシュは、腰の剣に手をかけた。
「アッシュ! やめて!」
「愚かな」
カイゼルは、顔も上げない。
「腕に自信があるようだが……著しく非合理的だ。感情に任せた暴力は、何一つ問題を解決しない。それどころか、君は反逆罪で処刑され、リリアンの立場を悪化させるだけだ」
アッシュは、剣を引き抜いた。
「姉さんを『道具』みたいに扱いやがって!」
「道具、か。……認識が違う」
カイゼルは、ゆっくりと立ち上がった。
「俺は、リリアンを『理解者』だと認識している。俺の、唯一の」
「だったら、今すぐ帝都に帰れ! お前がいるだけで、政務に支障が生じている!」
「できない相談だな。これは決定だ……俺の生涯の伴侶は、リリアン以外にあり得ない」
「……この、独裁者が!」
「だが、君の指摘は、データとして受理する。俺に剣を向けたことも、許そう。アッシュギル・スペンサー。君の……いずれ終わる、10年来の初恋に免じて」
アッシュが、真っ赤になる。
カイゼルはアッシュに見向きもせず、リリアンに向き直った。
「リリアン。貴方の拒否の論理は、『アークライトを離れられない』という一点にあった。ならば、その前提条件を、変更しよう」
カイゼルは、側近に声をかけ、何か命じたようだった。
「俺が、皇帝だ。どこにいようと、俺が帝国の中心だ」
側近が、震える手で新しい書類をカイゼルに差し出す。
「今、この瞬間より、アドラー帝国の『臨時首都』を、アークライトに定める」
「……な……」
リリアンも、アッシュも、絶句した。
「貴方は、アークライトを離れなくていい。俺が、ここにいれば、全てが解決する。貴方は、アークライトの総監のまま、俺の皇后になればいい。合理的だ」
この男は、どこかおかしいのではないだろうか。本気で、帝国の首都を、こんな辺境に移す、と。
リリアン一人の、ために。
(いや、自閉症スペクトラム症の特徴ならば……理解できる。限局した興味とそれへの囚われ……他の要素を、顧みない)
「……陛下。あまりにも、現実的ではありません。地政学的にも……」
「なぜだ? 帝国の運営は、通信スキルで遠隔指示できる。物理的な距離は、問題にならない。俺の『特性』は、膨大な情報を処理することに最適化されている。ここに俺がいれば、きな臭い動きをしている、西の隣国への抑止力にも、なるだろう」
その紫水晶の瞳には、狂気の色などない。カイゼルは、心の底から、それが最も『合理的』な解決策だと、信じ切っていた。
「こうまでして、貴方が欲しいのだと……何故、理解してもらえない?」
少しだけ悲しそうに、カイゼルが囁いた。
あの夜の、寄る辺ない少年のようなカイゼルの姿が蘇る。
「け、結婚の件は、保留ということで……」
拒絶など、できなかった。