「呪いではなく、特性です」ーーASD氷帝の孤独を癒やしたら、自由区の女王への溺愛が止まらないーー

皇帝と女王


 その日の深夜。
「お呼びにより、参上いたしました。陛下」
 リリアンは、緊張しながら、カイゼルのいる客間のドアをノックした。

「……無体なことはしない。入れ」
「何か、お知りになりたいことなど、おありでしょうか」
 深夜に部屋に呼ばれたからといって、帝都で美女に囲まれているであろうカイゼルが、リリアンのような田舎娘……一応アッシュやギデオンはいつも『綺麗』『可愛い』と褒めてくれるけど、信用できない……に、手を出すとも思えなかった。
 きっと、カイゼルが欲しいのは女ではない。知識か。……理解、か。

「……なぜ、わかった。特定の食事や、感触が苦手だと。俺の……呪いの噂を、調べでもしたのか」
 長い沈黙の後、カイゼルは、絞り出すように問うた。
 その声は、いつもの絶対的な支配者の響きとは異なり、ごく微かに、揺らぎを帯びていた。
 リリアンは一歩、前に進んだ。

「陛下のそれは、呪いなどではありません」
 リリアンの言葉に、カイゼルの肩が、かすかに震えた。 リリアンは、前世で得た知識の断片を、この世界の言葉で、丁寧に紡ぎ上げていく。
「私たち人間は、それぞれに、世界を感じるための『窓』を持っています。ある人の窓は、少し曇っていて、世界の輪郭をぼんやりと捉える。ある人の窓は、ごく普通に、ありのままの世界を映し出す」
 リリアンは、カイゼルの隣まで歩み寄り、窓の外を見つめた。夜空には、帝都では見られないほどの、無数の星が瞬いている。
「陛下の窓は、他の誰のものよりも、一点の曇りもなく、澄み切っているのです。だから、他の人には見えない星の光も、聞こえない風の音も、感じられない空気の匂いも、全てが鮮やかに、鋭敏に、その魂に流れ込んでくる」
 カイゼルは、何も言わなかった。ただ、息を詰めて、リリアンの言葉を聞いていた。
「それは、決して呪いなどではない。ただ、生まれ持った『特性』です。他の人とは、少しだけ世界の感じ方が違う。私は以前、そのような特性を持つ方々についてまとめた書籍を、読んだことがございます」
「特性……だと?」
  疑いと、混乱と、そして、かすかな希望が入り混じった、嗄れた声。
 リリアンは、強く頷いた。
「陛下は、人の感情が分からない、と仰った。でも、それは曖昧な感情よりも、観測可能な『事実』や『論理』を、他の誰よりも、正確に、処理する力をお持ちだ、ということです」
 カイゼルの瞳が、激しく揺れた。
「そして、その特性は、欠陥などでは断じてありません。むしろ、それは、陛下だけが持つことのできる、類稀なる『力』です」
「この呪いが……俺の、武器、だと?」
  カイゼルは、ゆっくりとリリアンに向き直った。 その顔には、もう氷の仮面はなかった。あったのは、長年の苦悩と孤独に疲れ果てた、一人の青年の、迷子のような素顔だった。
「……俺は。ずっと、人の感情が理解できず、言葉の裏が読めず、人を信じることができなかった。特定の物事に固執し、手順通りでないと気が済まない俺を……皆、気味悪がった。裏切られ、孤独になるのは、俺が呪われているせいだと……そう、思っていた……」
 その告白は、途切れ途切れで、子供の懺悔のように、拙かった。
「いいえ」
 リリアンは、静かに首を振った。
「その『特定の物事への固執』は、裏を返せば、一つの物事を突き詰める、類稀なる『集中力』です。その『手順通りでないと気が済まない』性質は、物事を正確に実行する『体系的な思考』の表れです。そして……」
  リリアンは、一歩、カイゼルに近づいた。
 「人の感情という曖昧なものに振り回されず、事実だけを見て決断を下せるその冷静な瞳は、何千何万の民の命運を預かる『皇帝』にとって、最も必要な『力』ではありませんか?」
「……俺の、呪いが ……皇帝の、『力』……だと?」
 カイゼルは、リリアンの言葉を、確かめるように、小さく繰り返した。
 長い、長い沈黙が流れた。 星が、空を静かに移動していく。
 やがて、カイゼルは、ふっ、と短く息を漏らした。

「……ずっと、探していた気がする。俺を『呪われた者』でなく……俺を『俺』として、受け入れてくれる相手を」
 カイゼルの顔に、これまで見たこともないような、柔らかな表情が浮かんだ。

「リリアン」
 カイゼルは、リリアンに向かって、そっと手を差し伸べた。
「貴方は、これが呪いでないと、教えてくれた」
  その冷たい指先が、リリアンの頬に、ためらうように触れた。
「貴方の言葉は、俺の世界を救う……。貴方こそが、俺の……女王だ」


  客間から出ると、夜の回廊で、アッシュとギデオンが鬼気迫る表情で、リリアンを待ち構えていた。
「リリィ姉さん、バカなの?! こんな時間に、男の部屋に行くな! あの皇帝と、二人きりで何を!」 
「……ただ少し、陛下の『特性』について、お話を。それだけよ」
 なおも喚くアッシュを、ギデオンが冷静に抑えた。
「リリィ……いえ、総監。皇帝は随分、貴方にご執心のようじゃねえか」
 ギデオンの、いつもより硬い声。
「我々は、貴方のものだ。貴方のためなら、いつでもこの命を差し出す覚悟がある。そして貴方も、我々の、アークライトのものだ。……誰にも、奪わせはしない」
  ギデオンの珍しく丁寧な口調と、真摯な瞳に、リリアンは曖昧に頷くことしかできなかった。


 翌朝。
 皇帝の査察は終わった。だが、カイゼルは帝都に帰還する様子を見せない。
 それどころか、カイゼルはリリアンの執務室に、当たり前のように姿を現した。昨日までの威圧的な近衛騎士ではなく、数人の文官だけを引き連れて。

「リリアン・アークライト総監。昨日の分析結果に基づき、最終結論を伝達する」
  氷の皇帝が、リリアンの執務机の前に立つ。そのアメジストの瞳は、昨日までの値踏みとは違う、奇妙な熱を宿していた。
「アドラー帝国皇帝カイゼル・レクス・アドラーは、貴方に結婚を申し込む」
 一瞬、執務室から、音が消えた。
 そして、リリアンの隣にいた、アッシュの手から、紙の束が滑り落ちる。
「貴方を、アドラー帝国の皇后として迎える。これは、帝国にとって最も合理的な決定だ」
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