リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜
(……ああ、その笑顔は僕よりも仕事のために浮かべるのか)

 せめて自分に向けられたものだったなら、少しは彼女のことを婚約者として見られたかもしれない。
 リシェルに対する黒い感情は、日に日に増していくばかりだった。

 ある日、ベッカー邸に行くと従妹のエミリと出会った。突然の訪問だったため、リシェルはすでに領地視察へ行ってしまった後だった。
 せっかくだからとお茶に誘われ、庭のテラスに用意された厳選された紅茶とパウンドケーキを囲んで他愛のない話をする。エミリが花のように笑うたびに、自分も満たされていく気がした。

『ベンジャミン様と過ごす時間がとっても幸せですわ。お姉様、本当に勿体ないことを……私だったら、ベンジャミン様に寂しい思いをさせませんのに』

 熱っぽく見つめてくるエミリに、ベンジャミンは高揚感を覚えた。自分がずっと欲しかったものを、ようやく見つけたことに喜びすら感じる。
 それ以来、ベンジャミンはエミリと出かけることが増えた。この急接近にお互いの想いに気付かないはずもなく、一夜の過ちに躊躇いなどなかった。

(家が決めた婚約なんていらない。愛に生きるのが人間というものだ!)

 腕の中で眠るエミリを愛おしく見つめ、ベンジャミンは新たに決意した。
 そしてエミリの妊娠がわかり、安定期に入ったところでリシェルに婚約破棄を叩きつけたのだった。

『承知いたしました。ギルバート公爵家との婚約解消に同意いたします』

 ベンジャミンは拍子抜けた。滅多に表情に出さないリシェルの絶望した顔を拝めると思っていたのに、彼女はむしろ清々しいと、皮肉が込められた微笑みを浮かべた。
 ベンジャミンはその笑みが大嫌いだ。忘れたくても忘れられない、忌々しい顔だった。
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