リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜
 ある日、リシェルとメイドとともにかくれんぼをして遊んでいた最中、空き部屋のカーテンの裏に隠れていたエミリに誰かが気付かず入ってきた。
 祖父であるベッカー伯爵当主がフランクに問いかける重々しい空気に、幼いながらも感じ取ったエミリは息を潜めた。

『お前の目的はなんだ? どうして連れてきた? 子爵家には跡取りとして育てることだってできたはずだ』
『不義の子は要らないと突き返されたんだ。修道院に捨ててこようとも思ったが、あの容姿は役に立つ。ベッカー家がこれからも繁栄していくためには必要だ。リシェルには敵わないが、ただ捨てるには惜しいと思わないか?』
『バネッサ嬢と離縁した時のことを忘れたのか! どれだけ迷惑をかけたか……』
『ハンクが死んで、父上も母上も持病が悪化している今、血縁者で紡いできたベッカー家を誰が立て直す? 俺以外、適任なんていないだろう?』
『リシェルがいる! あの子はハンクに似て聡明だ。当主として育て、婿入りをさせることだって……』
『老いぼれたその身体で、あれが成人するまで自分が生きていると本当に思っているのか? それにエミリだって、可愛いあなたの孫だ。孫には平等に接してもらいたいものだな』
『フランク、お前……っ、ゴホッゴホッ!』
『ああほら、興奮すると身体に障る。この話はこのくらいにして、寝室へ戻りましょう』

 フランクはわざと心配する声色で諭し、彼の背中を擦りながら部屋を出ていく。途端にしんと静まった部屋の中で、エミリはしばらくその場から動くことができなかった。
 当時のエミリには「不義の子」の意味がわからなかったが、なんとなく察した。

 自分はベッカー家にも、実母の実家にも要らない子。
 フランクに従わなければ、自分は捨てられる。
 貴族ではなく平民として生きていかなければならない――と。

 ふと、母の言葉を思い出す。

『可愛い私のエミリ。女の子はね、花のように華やかに静かに微笑んでいればそれでいいのよ』

(……そうよ、捨てられるなんて、絶対駄目だわ)

 父の操り人形として生きるのも、平民となって惨めな人生を送るのも許されない。
 だってエミリは、微笑んでいるだけでいいのだから。

「……そんなのいや……どうしてわたしばかり!」

 その場で頭を抱えて蹲っていると、ドアが開く音がした。フランクが戻ってきたのではと、咄嗟に身を固くする。
 コツコツと軽いヒールの音が聞こえてくるのと同時に、「エミリ? どこにいるのー?」と大好きな従姉の声がした。

「お、ねえ……さま……?」
「エミリ? よかった、やっと見つけ…… どうしたの!?」

 微かな声で呟いたにもかかわらず、リシェルはすぐにカーテン裏のエミリを見つけた。いつもすんとした表情をしている従姉が、珍しく焦った表情で抱きしめる。

「遅くなってごめんね。もう大丈夫よ」

 花のような香りが鼻をかすめる。すぐそばでいつも感じていた、優しくエミリを包みこんでくれるリシェルの体温。
 しかし今は、それが辛い。

(おねえさまは愛されているのに、どうして私は見てもらえないの? どうして、どうしてどうしてどうして!!)
「エミリ、大丈夫。私はここにいるわ」

 ぽんぽん、と背中を擦ってくれ、落ち着いた声色で諭す――その行動だけで、エミリは幼いながらも人格の差を感じた。

「……おねえさま」

 劣等感で押し潰されそうになる自分を保つには、こうするしかない。顔を上げたエミリは光のない瞳で懇願した。

「おねえさまのもの、エミリにちょうだい?」
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