リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜
気付いた時には、馬車はすでにベッカー邸へ到着していた。ほくほくとした様子で降りると、家令が玄関で出迎えてくれた。
「お疲れ様でございました、旦那様」
「出迎えご苦労。よい商談だったよ。……ところで、私の留守中に何かあったか?」
半月ほど前に王家の使いで文官のテオが来たことを知ったフランクは、今まで見向きもしなかった留守中の屋敷の様子を聞いてくるようになった。その中にはエミリの動向も含まれている。
リシェルと比べると頭の弱いエミリがテオの対応をしたと聞いた時は、さすがのフランクでも肝が冷えた。どうやって切り抜けたのかと同席していた侍女に問えば、「旦那様のように見事な熱弁ぶりでした」と聞いて内心ヒヤヒヤしたのだ。
家令は淡々と今日のことを報告する。
「来客はございませんでした。エミリお嬢様はレオニスを連れ添って街へお出かけになられまして、ショッピングを楽しんでいたと報告を受けております」
「そうか、エミリは遊び歩いているのか。ギルバート公爵から、領地が安定するまではと入籍を先延ばしにしているが……子を身籠っているのだし、そろそろ落ち着かせた方がいいだろう」
「ええ、ですが我々が申し上げても聞いていただけず……申し訳ございませんが、旦那様からお伝えいただけますでしょうか」
「……仕方がない。明日の朝食のときにでも釘を刺しておこう」
リシェルがいなくなってからというもの、ギルバート公爵領の経営は悪化していく一方だった。ベンジャミンの案によって徴収される税が値上がったことで、領民からの不満の声が相次いでいるらしい。引退を決めていた現当主も総出で対処に当たっているという。
そのため、ベンジャミンは領地に付きっきりになっており、エミリは放置されていた。最近はもっぱら遊び歩き、お気に入りの従者と仲睦まじい様子を見かける話も聞く。ここでも血は争えないものかと、呆れたのも無理はない。
「それとは別件で、旦那様にお願いがございます」
フランクの執務室に着いて早々、姿勢を改めた家令が言う。
「なんだ、家のことはお前に任せているだろう」
「ええ。ですからこれは、私一人の意志でありません。皆、入ってきなさい」
家令の声掛けによりドアが開くと、侍女頭を筆頭に次々と使用人達が執務室に入ってきた。そろった顔ぶれを見ると、フランクが当主の座に就く前から仕えている者ばかりだ。どれも険しい表情を浮かべており、何事かと眉を顰めるフランクに向かって家令が続ける。
「この場にいる使用人一同、今月いっぱいで辞めさせていただきたく存じます」