リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜
 なんせ婚約者であるベンジャミン・ギルバート公爵令息は、社交界では有名な美男子なのだ。上品なブロンドヘアに澄んだ青空に似た碧眼を持つ端整な甘いマスク。さらに優しい声色で多くの令嬢を魅了し虜にしている。美貌の遺伝子欲しさに婚姻を望む者も現れたことも少なくはない。

「ええ、この仕事も理解してくださって、とてもよくしていただいているわ」

 微笑みながら答えるリシェルに黄色い歓声が飛び交う。
 しかし実のところ、リシェルは婚約者の言動にたいそう呆れていた。
 最近のベンジャミンは、ベッカー邸に来ても従妹のエミリとばかり会っている。屋敷内にいても会話どころか、まともに会釈さえもしていない。
 今に始まった話ではないので、リシェルはすっかり慣れてしまったが、入籍を控えている身としてはいかがなものか。

(でも、最近のエミリもやけにベンジャミン様にべったりなのよね)

 初めの頃はお互いに距離を保っていたものの、気付けばリシェルに見せつけるように腕を絡めたりしていた。その気があるのは、傍から見てもよくわかる。
 可愛らしい容姿を持つエミリは、天使のようだと甘やかされて育てられてきた。幼い頃はよくリシェルのものを何かと理由をつけて奪っていたが、まさかこの年になってまで手を出そうとするとは。

(美男美女の理想のカップルって、ああいうのを指すのかしら。お似合いの二人だし、二人が婚約しても私は別に問題ない
のよね。伯父様がギルバート公爵家との繋がりが欲しいだけだもの。それはベンジャミン様も同じ)

 学園を卒業後にすぐ結婚かと思われたものの、ベンジャミンはリシェルに職に就くことを提案してきた。

『君は本に囲まれた生活をしたいと言っていたね。この際、司書の資格を取るために試験を受けてみるのはどうだろう。入籍はいつになっても構わない。僕はいくらでも待っているからさ』

 爽やかな笑顔とともに言われたが、今思えば、エミリとの時間を作るための伏線だったのだろう。まぁ、今さらどうでもいいが。
 リシェルはよぎった仮説を振り払い、ようやく見つけた資料を持って空いている席に座ると、食いつくように読み始めた。

(今は領民の安全を考えるのが優先。解決の糸口が見つかれば、公爵様にお伝えして今後に役立ててもらえるかもしれないわ)
 リシェルが資料に集中している中、他の職員はうっとりしながら彼女を見つめて口々に言う。

「さすが名門学園を歴代トップで卒業され、初の女宰相であるバネッサ様の後継者と期待されているお方ですわ。ルーカス王太子ともご学友ですし、未来は安泰ですわね」
「ええ、きっとこの国はもっと良くなるでしょう」

 王立図書館で働く職員は皆、リシェル・ベッカーという人間を心から信頼していた。
 責任感があり真面目で、他人を優先するような優しい令嬢。この国の未来さえも担う、貴重な人材――そんな完璧な彼女を誰もが羨み慕う。

 だから、彼女が急にいなくなるなんて、この時はまだ誰も思いもしなかった。
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