必要悪の公女さま



 伯父ルドガーの執務室に乗り込んだ私は、その姿を見つけた途端、頭の中が真っ白になってしまった。目からはぽろぽろと涙が溢れている。

「お、とうさま、おとうさま……」

 伯父の真意を手紙で知って以来、伝えたかった気持ちを胸の奥にしまっていた。
 夢だとしても、自由に言葉を発せられるのは今しかないのに、いざその機会が巡ってくると思うようにいかなかった。

「……おとうさま、あのね、ごめんなさい」

 勝手に持ち出した"ゾフの贈り言葉"をぎゅっと腕に抱く。
 とぼとぼと足を前に動かして、驚き固まっているナタリーの横を素通りし、伯父の目の前までやってきた。

「ククルーシャ……」

 背の高い伯父を見上げていれば、そっと私と目線を合わせるように片膝をついてくれた。

 これが大人の対応といえど、人前でヴェルセルグの当主が跪くなど滅多にないことである。それを伯父は平然とやってしまう。

「そんなに泣いて、一体どうしたんだ?」

 私が現れたことに戸惑ってもいたが、その不器用な言葉は、さらに涙を誘うほど優しくて温かいものだった。

「おとう、さま……お父様、ごめんなさい。ずっとずっと、会わないでごめんなさい。逃げていて、ごめんなさい」

 言いたいことは山ほどあったはずなのに、出てくる言葉はほんの短いものばかり。それでも伯父は口を挟まずに私の声に耳を傾けた。

「私のせいで、リリアーナ様と、赤ちゃんの最後に会えなくてごめんなさい。私が熱を出したから、私のせいで悲しませて、本当にごめんなさい」

 そして実の子でもないのに"愛する娘"と思ってくれていたこと、特別な意味のこもった洗礼名を与えてくれていたこと、ずっと私を気にかけていてくれたこと。

 謝罪だけではなく感謝も伝えたいのに、泣きすぎてもはや言葉を紡ぐことが困難になってきた。

(本当に融通のきかない夢なんだからっ。もうこんな夢でした伝えられないんだから、少しぐらい涙をとめてよ)

 そんな思いとは裏腹に、涙は頬を伝い続ける。

「……ククルーシャ」

 伯父は私に向かって躊躇いがちに手を伸ばしていた。
 私はその動きを目で追い、それから――。

「お父……様……」
「ククルーシャ!?」

 伯父の行動を最後まで見届ける余裕はなく、一瞬の眩暈のあとで私はその場に倒れ込んでしまった。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ。
 お願いだからまだ醒めないで。
 せめて夢の中でだけでも、もう少し一緒にいさせて。

「ククルーシャ、しっかりしろ!」

 しかし私の願いも虚しく、徐々に意識は遠のいていく。
 視界が暗転する直前に見えたのは、私を抱えて必死に呼びかける伯父の顔だった。

 …………それにしても本の角が直撃した後頭部、めちゃくちゃ痛い。
 おかしいな。夢のはずなのに。
 痛みも不思議なくらい現実(リアル)だわ。



 ***


『……教団及び皇室勢力は鎮圧され、三獣の暴走も阻止された』
『そのよう、ですね』

 少し前から、感じていた繋がりが消えていたことには気づいていた。
 戦火の渦に呑まれかけていた民の叫びも、剣を交える音も、なにもかもが消えている。

 混乱のすべてを終息に導いた立役者が、私の目の前にいる。
 美しい白銀の髪と、淡い薄青紫の瞳。
 背後から差し込む月明かりに照らされているせいか、この世の人とは思えないほど彼は神秘的に見えた。

『多くの反乱因子が潰えたいま、帝国の憂いとなっているのは、この私だけなのでしょう』
『……貴方の処遇については』
『考えるまでもありません。帝国にあるべきだった必要悪は、もはやただの害悪となりました。私の血が残ることで再び無意味な諍いが起こることは容易に考えられます』

 悪家ヴェルセルグの使命はとうに失ってしまった。
 伯父が亡くなり、ヤーコブが教団と皇室の言いように利用され、権威も失墜した。

 そうなってしまっては残されたヴェルセルグの血――魔神の血が流れる唯一の私は、さらなる反乱の火種になりかねない。
 これ以上の汚濁の原因となってしまうくらいなら。

『最後、ぐらい……誰かの役に、立ちたい』

 例えば、のちに救国の英雄と語り継がれること間違いない彼の功績に貢献するとか。

『本当に情けない。こうして死を直前にして、ようやく私も"必要悪"として、少しは胸を張れるようになれると考えているなんて』
『一体なにをっ』

 三獣を暴走させ、帝国に多大なる損害を与えた恐るべき魔神の血を受け継ぐヴェルセルグの生き残り。
 救国の英雄が、最後に討ち滅ぼすべき悪としては、相応しいのではないかしら。

『――英雄、シルヴァン様。どうか真の大聖女様とともに、帝国を安寧に導いてください』
『待て、ククルーシャ!!』

 魔神ゾフの血を拒絶し、私の死をもって、偉大なる悪ヴェルセルグの歴史に終止符を打つのだ。




「え、あれ……?」

 ぱちりと瞼を持ち上げる。
 少しばかりぼやけた視界に映るのは、豪奢な天幕と、ベッドの脇に置かれた椅子に腰かける伯父の姿。

「えっと」

 私はずっと夢を見ていた。
 6歳の体に戻って、伯父に会いにいく夢。
 言いたいことをすべて伝え切ることはできなかったけれど、一番に言いたかった謝罪だけはなんとかできた。

 そこで気が遠くなって、ああ夢が終わってしまうんだなと、抗えないまま意識を手放したはずだった。

「…………お父様?」

 それなのに、私のすぐそばにはうたた寝をした伯父がいる。
 まだ夢は続いているのだろうかと思ったところで、目覚める前に見ていたものがはっきりと記憶として蘇った。

「あ、れ……これって、どういうこと?」

 気だるい体をゆっくりと起こし、頭を抱え込む。

 私が思い出せる記憶は、教団の地下牢で、イヴァノフとアシュリーと会話したところで最後だと思っていた。
 そこから6歳の誕生日の夢を見続けているのだと予想していたが、どうやら違うらしい。

 もう、なにが正解なのかわからなくなってきた。
 どれが本当の夢で、どれが本当の現実なのか、頭がおかしくなってくる。

 ただ一つだけ、おそらく確かなことは。
 私が自ら決意した、最期の瞬間。


「…………もしかして、私……あのとき、死んでた?」
< 6 / 7 >

この作品をシェア

pagetop