恋のリハーサルは本番です

第11話 二人きりのリハーサル

午後六時を過ぎた稽古場は、すでにほとんどのスタッフが帰っていた。
 照明だけが、ぽつんと舞台の中央を照らしている。

 桜井蓮は、まだ舞台の上に立っていた。
 額に浮かんだ汗を手の甲でぬぐい、静かに台本を見つめる。
 隣には、なぜか───水無月あかり。

「まさか、残ってたのがあかりさんだけとは」
 蓮が苦笑まじりに言うと、あかりは慌ててノートパソコンを閉じた。
「だって……まだ、ここのシーン、納得いってないの」
 頬をふくらませながらも、瞳は真剣だった。

 彼女が指差したのは、クライマックスの告白場面。
 あかりが書いたセリフを、蓮は何度も読み返していた。
 だけど、うまく言葉にできない。
 “演技”として言えば嘘になる。
 “本音”で言えば、抑えてきた気持ちが全部あふれそうで。

「……じゃあ、やってみる?」
 あかりの声に、蓮は顔を上げた。
 彼女は台本を胸に抱きしめ、少し照れくさそうに笑っている。
「私がヒロインのセリフ、読むから。桜井くんはそのまま──」
「……本気で?」
「うん。リハーサル、でしょ?」

 舞台の上に、二人きり。
 スポットライトの熱が、鼓動を速める。

「……君を、もう離さない」
 蓮の声は、低く、かすかに震えていた。

 あかりはページをめくりながら、セリフを読もうとした───
 けれど、言葉が喉につかえた。
 彼のまっすぐな視線が、強すぎたから。
 その瞳には、“役”のあかりじゃなく、“自分”が映っていた。

「……蓮くん……」
 気づけば、名前を呼んでいた。脚本の中ではなく、現実の声で。
 次の瞬間、沈黙。
 二人の間に流れる空気が、ゆっくりと熱を帯びていく。

 外では風が吹き、カーテンが揺れた。
 蛍光灯がかすかにちらつく。
 それでも誰も、もう二人を止められなかった。

「……この台詞、もう一回言っていい?」
 蓮が一歩、彼女に近づく。
 あかりは息をのんだまま、うなずいた。

「──君を、もう離さない」

 さっきよりも低く、優しく、まるで告白のように。
 距離はもう、数十センチもなかった。

 あかりの指先が震える。
 ノートパソコンが床に落ち、カチンと小さな音を立てた。
 それでも二人は動かない。
 目を逸らしたら、何かが壊れてしまう気がした。

 静寂の中で、二人の心臓の音だけが響いていた。
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