恋のリハーサルは本番です

第135話 書けない夜、脚本家は恋を自覚する

夜更けのアパート。

机の上には、開いたままのノートパソコン。 画面には、書きかけの台本。
──なのに、カーソルは点滅するだけで、一文字も増えない。
水無月あかりは、椅子に深く座り込み、天井を見上げた。
「……書けない」
小さく呟いた声が、部屋に落ちる。


(今日のシーンは、ここから)
ヒロインが微笑む場面。 相手役の目を見て、気持ちを確かめる── 何度も書いてきた、ありふれた場面。
(なのに……)
指が、動かない。
脳裏に浮かぶのは、
舞台袖で見た 桜井蓮の横顔。
真剣な目。 無防備な笑い。 誰かを大切にするときの、あの距離感。
(……だめだ)
彼をモデルにしたわけじゃない。 そう言い聞かせても、感情が先に滲む。



スマホが光る。
──蓮からの通知ではない。
それなのに、胸が少し沈む。
(期待してた……?)
あかりは自嘲気味に笑う。
「脚本家失格だな、これ」
感情を切り離す。 それが仕事のはずなのに。


亜理沙の声が、頭に蘇る。
『桜井さんって、無自覚で人を落とすタイプですよね』
(……わかってる)
自分が、一番よく。
そして、翔の言葉も。
『自分が、どれだけ危険かわかってる?』
(危険なのは……)
彼じゃない。
(私の方だ)


あかりは、そっと胸に手を当てる。
ドキドキしている。 理由は、はっきりしている。
(私……)
(桜井蓮に、恋してる)
逃げ道のない結論だった。
脚本家として。 一人の女性として。


あかりは、深呼吸してキーボードに指を置く。
(逃げない)
(この気持ちごと、書く)
カタ、と一文字。
『ヒロインは、恋を自覚した瞬間、
 同時にそれを失う覚悟をする』
涙が、一滴、キーボードに落ちた。


窓の外、街は静かに眠っている。
同じ夜のどこかで、
蓮もまた、眠れずにいたことを──
あかりは、まだ知らない。
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