恋のリハーサルは本番です

第154話 待つという嘘

劇場の裏口。

蓮は、自販機の前で足を止めていた。

喉が渇いていたわけじゃない。

ただ、帰るタイミングを逃しただけだった。

(……翔、まだ中か)

稽古後、姿が見えなかった。

あかりも、客席に残っていたはずだ。

「少しだけ様子を見て帰ろう」

そう思って、裏手の通路を歩いた、その時。

──聞こえた。

低く、落ち着いた声。

「だから俺は言う」

蓮の足が、止まる。

(……翔?)

反射的に、柱の影に身を寄せてしまった自分を、

その瞬間、ひどく卑怯だと思った。

けれど。

聞こえてしまった。

「水無月あかり。
 俺は、あんたに惹かれてる」

世界が、音を失った。

(……は?)

心臓が、強く脈打つ。

耳鳴りがする。

翔の声は、続いていた。

「逃げない選択だ」

「答えが俺じゃなくてもいい」

「でも、“感じてるくせに見ないふり”だけはするな」

その一言一言が、

蓮の胸を、正確に抉ってくる。

(……言った)

翔は、言った。

迷わず。

逃げ道を残しながら。

それでも、核心から目を逸らさずに。

蓮は、息を殺して立ち尽くす。

(俺は……)

脳裏に、これまでの自分が浮かぶ。

──待てばいい。
──彼女のペースを尊重すればいい。
──脚本家と俳優、その線を越えないのが正解だ。

全部、正しい。

全部、優しい。

でも。

(……それ、誰のためだ?)

自分が傷つかないためじゃないのか。

彼女を失うかもしれない恐怖から、

“待つ”という言葉に逃げていただけじゃないのか。

翔の声が、決定打を放つ。

「待つ優しさは、時に残酷だ」

蓮の指が、震えた。

(……やめろ)

それは、翔にじゃない。

(それ以上、俺を正論で殴るな)

翔の足音が、遠ざかる。

そして──
残された、沈黙。

あかりの声は、聞こえない。

泣いているのか、黙っているのかも、わからない。

蓮は、一歩、前に出かけて。

──止まった。

(……行けない)

今、声をかけたら。

彼女の選択を、奪ってしまう気がした。

でも同時に。

(……待ってたら)

奪われるのは、自分だ。

胸の奥が、じくじくと痛む。

(俺は……)

初めて、はっきり思った。

(“待つ”って、逃げだ)

彼女を尊重しているふりをした、

臆病な言い訳だ。

蓮は、壁に手をついた。

息が、うまくできない。

(……遅い)

もう、遅いのかもしれない。

それでも。

(それでも……)



自分の中で、何かが確かに変わった。

もう、“何もしない”という選択はできない。

蓮は、静かに顔を上げた。

(次は……)

(俺が、動く番だ)

劇場の外に出ると、夜風が冷たかった。

同じ夜に。

同じ場所で。

同じ女性を想いながら。

三人の選択が、
それぞれ、違う方向へ踏み出してしまったことを──
まだ、誰も知らない。
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