恋のリハーサルは本番です

第153話 だから俺は言う

稽古終わりの劇場は、静まり返っていた。

照明が落ち、舞台上には作りかけの世界だけが残る。

役者たちはそれぞれ帰り支度をし、足音が遠ざかっていく。

その中で──
水無月あかりは、客席の最前列に座ったまま、

ノートパソコンを閉じられずにいた。

(……今日も、進まなかった)

言葉はある。

感情もある。

なのに、決定的な一行が書けない。

「悩んでる顔だな」

不意に、低く落ち着いた声。

振り向くと、高峰翔が通路に立っていた。

ジャケットを肩にかけ、舞台を見上げるような視線。

「……お疲れさまです」

あかりは、いつも通りの距離で返す。

「残ってると思った」

翔は、客席の一段下に腰を下ろした。

「脚本家が一番残る時間帯だ」

「……観察しすぎです」

「仕事だからな」

笑うが、軽くはない。

沈黙が落ちる。

それは、居心地の悪い沈黙ではなかった。

翔が、舞台の中央を見つめたまま口を開く。

「なあ、センセ」

「はい」

「さっきの姫野の質問」

あかりの指が、わずかに止まる。

「……聞いてました?」

「聞こえた」

即答だった。

「で?」

翔は、ゆっくりと視線を向ける。

「答えは?」

あかりは、息を整えた。

「……作品の話です」

「それで逃げる?」

優しいが、容赦がない。

「脚本家としては、正解だ」

翔は、そう前置きしてから──

静かに、続けた。

「でも、一人の人間としては?」

あかりは、言葉を失う。

翔は立ち上がり、彼女のすぐ前の席に立った。

視線が、同じ高さになる。

「俺はな」

そこで、一切の曖昧さを捨てた声になる。

「好きになったら、言う」

あかりの心臓が、大きく跳ねる。

「状況がどうでも」

「立場がどうでも」

「相手が誰を想ってても」

一拍。

「だから俺は言う」

翔の目は、逃げなかった。

「水無月あかり。
 俺は、あんたに惹かれてる」

劇場の空気が、張りつめる。

あかりは、思わず立ち上がった。

「……それは」

言葉が、揺れる。

「私、脚本家で──」

「知ってる」

即座に遮る。

「俳優と脚本家。線を越えない」

「プロとして、正しい判断だ」

翔は、少しだけ笑った。

「でもな」

その笑みは、どこか寂しげだった。

「越えないって決めてるのは、あんただ」

「……」

「桜井は、越えないふりをしてるだけだ」

あかりの胸が、痛む。

「彼は優しい」

翔は、淡々と言う。

「だから待つ」

「だから黙る」

「だから、あんたを楽にさせる」

一歩、近づく。

「でもな」

低く、強く。

「それ、選ばせてない」

あかりは、唇を噛む。

「……翔さんは」

声が震える。

「私に、何を求めてるんですか」

翔は、少し考えてから答えた。

「逃げない選択だ」

「今すぐじゃなくていい」

「答えが俺じゃなくてもいい」

でも、と。

「“感じてるくせに見ないふり”だけは、するな」

その言葉は、まっすぐ胸に突き刺さった。

翔は、一歩引く。

「俺は言った」

「だから、これ以上は踏み込まない」

去り際に、振り返る。

「でも覚えとけ」

静かな宣告。

「待つ優しさは、時に残酷だ」

翔は、そのまま劇場を出ていった。

残されたあかりは、立ち尽くす。

(……ずるい)

正論で。

誠実で。

逃げ道を残したまま、核心だけを突いてくる。

胸に、熱が残っていた。

(私は……)

脚本家として、守ってきた線。

でも──
今、初めて思ってしまう。

(誰かに、選ばせるだけじゃなく)
(私も……選ぶ側でいなきゃいけないんじゃない?)

舞台の上には、まだ灯りが残っていた。

書けなかった一行が、
今、ようやく形を持ち始めていた。
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