恋のリハーサルは本番です

第197話 送らなかったメッセージ

夜のホテルは、思ったより静かだった。



カードキーを差し込み、ドアを閉める。



室内灯を点けずに、そのまま窓際まで歩いた。



カーテンの隙間から、街の灯りが滲む。



撮影初日の夜。



身体は疲れているはずなのに、頭だけが冴えていた。



(……反芻してるな)



蓮は、苦笑する。



今日の芝居じゃない。



監督の指示でも、カメラの位置でもない。



──「疲れました?」



あの一言。



仕事以外の、初めての言葉。



(あんな聞き方)



無意識だった。



でも、嘘じゃなかった。



これまで、水無月あかりを見てきた。



脚本家としての背中。



判断の速さ。



迷いを見せない視線。



でも今日は、違った。



「疲れてます。でも、嫌な疲れじゃないです」



その声。



ほんの少しだけ、肩の力が抜けた表情。



(あれは)

(“書き手”じゃなかった)



ノートパソコンを閉じる仕草。



夕方の光の中で、立っていた姿。



役のヒロインと、重ならなかった。



脚本家とも、重ならなかった。



ただ、一人の女性だった。



蓮は、ベッドに腰を下ろす。



タオルを首から外し、無意識に握りしめる。



(俺は)

(何をしてる)



「また、明日」



そう言って別れたとき、



ほんの一瞬、引き止めたい衝動があった。



理由のない衝動。



(……待つ、って)



舞台では、待つことを選んだ。



それが正しいと思っていた。



でも、今日の会話は違う。



待って生まれたものじゃない。



踏み出してしまった結果だ。



「今日は……お疲れさまでした」



あの言葉を口にしたとき、

胸の奥が、確かに軽くなった。



(仕事じゃない言葉を)

(言ってしまった)



それでも、後悔はなかった。



スマホを手に取る。



連絡先を開く。



──水無月あかり。



名前を見ただけで、息が浅くなる。



(今、送るのは)

(……違う)



画面を伏せる。



今日は、まだ言葉にしない。



でも──



(次は)

(仕事じゃない会話を、選ぶ)



それだけは、もう決めていた。



窓の外で、車の音が遠ざかる。



街は、淡々と夜を進めている。



蓮は、目を閉じた。



反芻は、終わらない。



でもそれは、迷いじゃない。



静かに始まった、

“待たない”時間だった。

< 198 / 218 >

この作品をシェア

pagetop