忘却の蝶は夜に恋う
「ぷっ……あはははっ!」
イスカは目尻に薄らと涙を浮かべながら笑っている。ノクスの例えはそんなに面白かったのだろうか。
「……何が面白いんだ」
イスカは指先で涙を散らし、首を左右に振る。面白くて笑ったわけではないのだと訴えたいようだが、その姿に説得力はない。
ノクスが眉を寄せ、戸惑いを顔全体に広げた時。
イスカは改まったような変な咳払いをしてから、頼りなく細い指先でスカートを摘み、綺麗なお辞儀を披露した。
「助けてくれてありがとう。婚約者殿」
「いや、その……」
唇がうまく動かない。お礼を言われるようなことをしたつもりはないと言いたいのに、晴れやかな笑顔を飾っているイスカを見たら、声の出し方が分からなくなってしまった。
令嬢というものを、ノクスはよく知らない。だけど目の前にいるイスカという少女が、変わり者であるということは分かる。
この世の中で男と肩を並べて歩き、恥じらうことなく声をあげて笑う令嬢など、国中のどこを探しても彼女以外いないだろう。
それからどうしたらいいのか分からず黙っていると、イスカが地面に落ちた日傘を拾い上げ、ノクスに笑いかけた。