忘却の蝶は夜に恋う
「帰ろうか、婚約者殿」
ノクスは黙って頷き、イスカから日傘を受け取った。何か特別な素材で作られているのか、傘の下は思った以上に涼しく、陽の光も遮断している。
これは中々に便利だ。女性だけが使うものだと認知していたが、男性でも使えるように──男性でも使えるものを作らせたい。
日傘を持ったノクスの隣に、イスカが入り込む。何か楽しいことがあったのか、彼女の足取りは軽く、羽が生えたらどこかへ飛んでいきそうだった。
「──もう少し行った先に、美味い店がある。公爵家のご令嬢である貴女の口には合わないかもしれないが」
何か食べて帰らないか、という遠回しな提案に、イスカは瞳を輝かせた。
「君の好きなものを教えてくれるのかい?」
「別に好きというわけでは」
「ならば嫌いなのかい?」
「嫌いではないなら好き、という解釈はやめてくれ」
イスカはんん、と唸る。
「じゃあ、普通」
黙ったノクスを見て、イスカは人差し指をピンと立ててみせた。
「ならばこれでどうだい? 美味いか、不味いか」
「貴女の料理よりも遥かに美味い」
即答したノクスに、イスカは苦笑で返す。
私と比較しないでくれよ、と笑った彼女の頬は日に当てられてしまったのか、赤く染まっていた。