忘却の蝶は夜に恋う
◇
「──やあ、ヴィルジール。ご機嫌は如何かな?」
イスカがヴィルジールの執務室を訪れたのは、ノクスと婚約してから五日目の午前のことだった。
これといって特に用事はないが、幼少期からの付き合いである友人とは定期的に会いたくなるものである。
ヴィルジールはコーヒーを片手に書類を読んでいたようだが、窓の向こうから聞こえたイスカの声で顔を跳ね上げ、すぐに窓を開け放った。
「……全く。落ちたらどうするつもりだ」
「その時はその時さ。そもそも、君の執務室の窓が内側からしか開けられないのが問題だと思うのだがね」
「ここを誰の執務室だと思っている」
「皇帝の執務室だね」
ヴィルジールの手を借りて室内に入ったイスカは、分かりやすい顔をしているヴィルジールを見て笑った。
ヴィルジールは「何を言っているんだ貴様は」と今にも言い出しそうな顔である。だがすぐにその視線はイスカから逸らされ、彼は執務机の前へと戻った。重要な案件を前にしていたところを邪魔してしまったのかと思い、イスカは静かに近づく。
ヴィルジールは誰かからの手紙と報告書らしきものを照らし合わせながら読んでいるようだった。
「それは誰からの手紙だい?」
「ハルメルス辺境伯の息子、ローリエからだ。報告書もこいつが書いたものだ」
イスカは机の上を覗き込んだ。先ず目に入ったのは、いかにも貴族らしい趣向を凝らした便箋だった。押し花が添えられ、香りが焚き染められている。季節の挨拶から始まる文面はどこぞの貴婦人のようで、字は女性のように繊細でなめらかで、辺境伯の御子息が書いたものと聞いて驚きだ。
「──やあ、ヴィルジール。ご機嫌は如何かな?」
イスカがヴィルジールの執務室を訪れたのは、ノクスと婚約してから五日目の午前のことだった。
これといって特に用事はないが、幼少期からの付き合いである友人とは定期的に会いたくなるものである。
ヴィルジールはコーヒーを片手に書類を読んでいたようだが、窓の向こうから聞こえたイスカの声で顔を跳ね上げ、すぐに窓を開け放った。
「……全く。落ちたらどうするつもりだ」
「その時はその時さ。そもそも、君の執務室の窓が内側からしか開けられないのが問題だと思うのだがね」
「ここを誰の執務室だと思っている」
「皇帝の執務室だね」
ヴィルジールの手を借りて室内に入ったイスカは、分かりやすい顔をしているヴィルジールを見て笑った。
ヴィルジールは「何を言っているんだ貴様は」と今にも言い出しそうな顔である。だがすぐにその視線はイスカから逸らされ、彼は執務机の前へと戻った。重要な案件を前にしていたところを邪魔してしまったのかと思い、イスカは静かに近づく。
ヴィルジールは誰かからの手紙と報告書らしきものを照らし合わせながら読んでいるようだった。
「それは誰からの手紙だい?」
「ハルメルス辺境伯の息子、ローリエからだ。報告書もこいつが書いたものだ」
イスカは机の上を覗き込んだ。先ず目に入ったのは、いかにも貴族らしい趣向を凝らした便箋だった。押し花が添えられ、香りが焚き染められている。季節の挨拶から始まる文面はどこぞの貴婦人のようで、字は女性のように繊細でなめらかで、辺境伯の御子息が書いたものと聞いて驚きだ。