忘却の蝶は夜に恋う

「へえ、ローリエ殿か。会ったことないな」

 辺境伯とは、その名の通り辺境の地を治める伯爵のことである。首都に別邸を構え皇城に出仕する伯爵とは違い、国境を接する重要地域を防衛している。滅多に社交界に顔を出さない為、国を挙げての公式行事くらいでしか顔を合わせることはない。

「ローリエは……そうだな、一度会ったら忘れられない奴だ」

「国境を治める一族の御子息となると、簡単にはこちらへ来られなさそうだけれど。式典には来れるのかい?」

「当主の代理で来るそうだ」

 当主の代理、それはつまり当主は来られないということ。ヴィルジールを支持する皇帝派であるハルメルス家の当主が、即位を祝う式典に参列できないとは。代理人が立てられているとはいえ、何かあったのだろうか。

 訝しげな顔をしたイスカに、ヴィルジールはローリエが書いた報告書を見せてきた。目を皿のようにして眺めると、そこには半年前から直近までの気候と、増加傾向にある数値が記されている。

「これは──魔獣か?」

「ああ。ハルメルス領では半年前から人里に下る魔獣の数が増え、討伐数は昨年の三倍だそうだ」

 魔獣とは、人を襲い人を喰らう獣のことだ。その多くは人里から離れた森林や沼地、険しい山々などに生息している。殆どの種が夜行性の為、夜間に人気のない場所にでも行かない限り遭遇することはないが、冬になると餌を求めて人里に下りてくることがある。
< 50 / 77 >

この作品をシェア

pagetop