忘却の蝶は夜に恋う
「ちょっと、陛下! 私を置いてどこに行くんです!?」
「仕事だ。くだらないことに付き合っている暇はない」
「くだらない!? 貴方を巡って、壮絶なバトルが起きているというのに!?」
ノクスはヴィルジールとエヴァンを交互に見てから、疲れたようにため息をこぼした。ふたりの痴話喧嘩は見慣れているが、何もここで披露しなくても。イスカだけが楽しそうに笑っている。
「ああ、皇帝陛下! ご機嫌麗しゅうっ!」
甲高い声がホールに響いた。喧嘩はもう終わったのか、取っ組み合いをしていた令嬢が血相を変えて駆け寄ってきた。
「ちょっと、伯爵家の人間が侯爵家の娘であるわたくしよりも先にご挨拶するなんて無礼ですわよ!」
「格下の家の私に暴力を振るっておいて、よくそんなことが言えますわね!」
「貴女だってわたくしの腕を掴んだじゃない! 見なさいよ、このシワシワ!」
二人の令嬢はヴィルジールが目の前にいるというのに、再びぎゃあぎゃあと騒ぎ始めた。無論、ヴィルジールのこめかみには青筋が浮かんできている。
辺りの空気が冷えていくのを感じたその時、今の今まで面白そうに眺めていたイスカが前に進み出た。
「二人とも、陛下の前で喧嘩はやめたまえ」
イスカの声で、二人の令嬢はピタリと動きを止めた。目が痛くなるくらい派手なドレスを着ている侯爵令嬢が、くるりと身を翻しイスカと向き合う。