忘却の蝶は夜に恋う

「誰ですの? 貴女は」

「私かい? 私はイスカーチェリ・ハインブルグだ」

 ハインブルグの名を聞いて、侯爵令嬢は居心地が悪くなったのか、咳払いを一つしてからヴィルジールとイスカに向かって一礼した。

「申し遅れましたわ、わたくしはアネット・ガルシア。ガルシア侯爵家の者です」

 ガルシア侯爵家はヴィルジールの即位に反対していた、反皇帝派に属する家だ。帝国の北東に広大な領地を持ち、その真下にはハルメルス領がある。

「ではガルシア侯爵令嬢、いいことを教えてあげよう。君たちが議論していた皇帝陛下のパートナーの件だが、既に決まっている」

「なんですって!?」

 ノクスはエヴァンへ視線を送った。一体どういうことかと訴えるように。ノクスの視線に気づいたエヴァンは、ぱちくりと目を瞬きながら首を左右に振る。

 どうやら既にパートナーが決まっているというのはイスカのでっち上げのようだ。だが令嬢たちには効果抜群の一言だったようで、彼女たちはわなわなと唇を震わせていた。そこへ父親らしき人が近寄り、家に帰りなさいと促したことで、彼女たちは渋々といったふうに下がっていくのだった。

 令嬢たちがいなくなり、見物人も散っていき、騎士たちも所定の配置に戻り、その場に残ったのがノクス、イスカ、ヴィルジール、エヴァンとアスランの五人になると、ヴィルジールがくしゃりと前髪を掻き上げた。

「────イスカ」

 絶対零度の声と眼差しに、ごくりと喉を鳴らしたのはノクスだけではないはずだ。

「いやあ、一体誰なのかなぁ。ヴィルジールのパートナー」

 イスカはにぱっと笑うと、脱兎の如き速さで走り去っていった。
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