忘却の蝶は夜に恋う
「イスカーチェリ・ハインブルグだ。失礼なことをしてしまったのに、助けてくれてありがとう」
「いいのよぉ。アタシ、あの男キライだもの」
元婚約者なのにごめんなさいねぇ、とローリエはころころと笑いながらイスカの手を離した。
よく見てみると、ローリエは耳や首だけでなく手首や指の先にまでアクセサリーを着けている。どこぞの公爵夫人よりも煌びやかだ。
「ふふ、ローリエ殿は正直なんだね」
「だってねぇ。何を考えているのか分からない人よりいいと思わない? どこかの次男坊の何ちゃらリックさんのように、笑顔で嘘を吐く人よりもずっといいと思うの」
イスカはほろほろと笑った。飾らないローリエの言葉と態度は貴族らしくないが、とても好感が持てるのだ。一度会ったら忘れられない、と言っていたヴィルジールの気持ちがよく分かる。
「確かに、それは私も同感だ。ここにいる人たちは皆、取り繕った笑顔の下で何を考えているのか分からないからね」
「ね、ね、そうよね! アナタとも気が合いそうで嬉しいわぁ」
何日か首都に滞在するから、明日はお茶でも──と、ローリエがイスカを誘った時。会場がしんと静まり返った。
「──皆様、お待たせいたしました」
ホールの二階からエヴァンが現れ、凛とした佇まいで声を張っている。その傍にはノクスの姿もあった。セバスチャンと一緒に密かに式典用の礼服を用意したというのに、彼は相も変わらず黒一色の礼服を着ていた。あれではまるで喪服のようである。
式典の開催の挨拶をするエヴァンの姿を近くで見るために、イスカはローリエと共に前方へ移動したのだった。