忘却の蝶は夜に恋う
イスカは鼻歌を歌いながら、ノクスの髪をわしゃわしゃと洗った。突然思い浮かんだメロディにしては、なかなかよい出来栄えだと思うが、ノクスは変な顔をしていた。
「痒いところはないかい?」
「ない。早く流してくれ」
「何を言ってるんだ。これからマッサージをするよ」
「オプションは結構だ」
イスカは口を尖らせた。せっかく婚約者の入浴を手伝うというオイシイ展開になっているというのに。何かと理由をつけて艶やかな黒髪に触れていたかったが、今日のところは引くことにした。これ以上堪能していては、ノクスの綺麗な顔がさらに歪んでしまう。
イスカはバスルームの扉の向こうにある客室へと移動し、近くを通りかかった使用人に水とグラスを用意させ、ノクスが入浴を終えるのを待った。
バスルームから出てきたノクスは白いシャツに細身のズボンを履いていた。彼が黒色以外の服を着ているのを見るのは初めてのことでとても新鮮だ。白という色を纏っているせいか、普段よりもずっと柔らかい印象を受ける。
ノクスは窓を開け、夜風に吹かれながら髪を拭きはじめた。
「──どうして違うドレスを?」
ふと、ノクスは関心のなさそうな声音でそう問いかけてきた。その静かな声色に反して、青色の瞳は真っ直ぐにイスカを見ている。