「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます
 基本的には妃と王太子の寝室は別だ。それはブロムステットでも同じだった。同室でともに過ごすほど仲がいい夫婦など、アンジェリカは今まで聞いたことがない。

「送ってくよ」
「はい?」
「だってあんたもこんな夜中に一人じゃ危ないだろ」

 そのまま、アンジェリカの手を取ったかと思うとヴィルヘルムは歩き始める。包み込まれるように、手を握られた。

「ちっさい手だな」

 この手に触れたことが、まるでないわけではない。ただそれはもっと微かな触れ合いだった。差し出された手に、アンジェリカはそっと手を重ねて、それだけだった。

 大きな手がきちんと力の加減をしてくれていると感じる。

「こちらです」

 長い足をぎこちなく動かして、ヴィルヘルムはゆっくりと歩いてくれる。子供のようだけれど、ヴィルヘルムはちゃんとアンジェリカのことを考えてくれている。

 本来送ってもらうほどの距離ではない。アンジェリカの部屋の前には、すぐに着いた。 その手を離さなければと思った時、ヴィルヘルムがすっと顔を背けた。

「あの、さ」

 空いている方の手で、銀色の髪を掻き上げる。言いあぐねたように、その目が揺れる。

「ここに、いていい?」
 王太子のお召しがある時は先触れがあって、連れられるがままにアンジェリカがヴィルヘルムの部屋を訪れる、ということになっている。

 だから、ヴィルヘルムは今までアンジェリカの部屋に入ったことはない。

 なんて応えようかと悩んでいたら、

「あ、その、勘違いすんなよ! その、そういう意味じゃなくて」

 取り消すように大仰に顔の前で手を振って、ヴィルヘルムは言った。ぱっとその手のぬくもりが離れて、途端にアンジェリカの手は宙ぶらりんになる。

「ただ、眠れなくて、さ」

 零れるようにぽつりと呟いた声が掠れていた。

「目が覚めたら、オレ、またどうなってるんだろうって、思って」

 気が付いたら、自分は突然二十八歳だと言われて。
 たった一人、十二年後の世界に放り出されて、誰も彼も、妻だと言われた女でさえも好き放題に言う。

 そんな世界でこのヴィルヘルムは、どれだけ不安だったのだろう。
 叱るばかりでアンジェリカはそのことを何も考えられてはいなかった。

 体の無事を喜ぶのと同じぐらい、彼の心を案じなければいけなかったのに。
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