「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます
 己の立てた膝にアンジェリカの左足を乗せる。
 壊れ物に触れるように、その手はそっと足首に触れた。それでもつきん、と痛みが走る。

 腫れた足が熱いのか、その手が熱いのかもう分からない。

「いつ怪我したの? ちゃんと冷やさなきゃだめだろ」

 氷嚢が当てられて、ひんやりとした温度が染みていく。

「あの、わたし、自分で」

 どう考えても王太子にこんなことをさせるべきだとは思えなかった。眼前に美しい男が跪いていることにも、夫が素足に触れていることにも耐えられない。

「いいからじっとしてて。捻挫は一度やると癖になる。ちゃんとした手当てが必要なんだ」

 灰青色の瞳が糾弾するように見上げてくる。そう言われると、もう何も反論ができない。

 足先が凍えるぐらいになってから、ヴィルヘルムは氷嚢を離した。そして、慣れた手つきで足首に包帯を巻いていく。びっくりするほど見事な手際だった。

 じっと見つめてしまっていたら、ヴィルヘルムが顔を上げた。

「痛い? 少し緩めようか?」
「いえ、そのお上手だなと思いまして」

「ああ、オレ、今……あんたの感覚でいうと十二年前は、騎士団にいたからさ。一通りの怪我の手当ては習ったんだよ」

 ヴィルヘルムは包帯の端をきれいに結んでそう言った。「王子の嗜みってやつ。自分の身は自分で守れるようにってね」

「どうして、相談してくれなかったの」

 こつん、と膝頭が置かれる。それは忠誠を誓うようにも、甘えているようにも見える。

「別にダンスなんか、踊らなくてもよかったのに」

 くぐもった低い声が言う。駄々をこねるようにすべらかな頬が何度も押し付けられる。ここまでは、自分が予想した通りだった。

「先に話してくれたら、もっとやり様はあったのに。そりゃあ、相手が十六のオレじゃ頼りないかもしれないけどさ」

 糾弾するように、灰青色の瞳はアンジェリカを見上げてくる。

 咎めるような声に隠しきれない幼稚さが滲む。整った顔立ちに、今のヴィルヘルムの声はひどく不釣り合いだ。

 言えるわけがなかった。

 一度もアンジェリカのことを見なかった、二十八歳の彼にも。
 こうしてアンジェリカを見上げてくる、十六歳の彼にも。

 ――だってあなたは全部、忘れてしまうじゃない。

 口をついて出そうになった言葉を、寸前のところで飲み込んだ。ほんの少しだけ残っていた理性がアンジェリカを留めてくれた。

 何があってもこれだけは、知られてはいけない。

「あなたは、何も分かってない!」

 代わりに突き刺すような己の声が言った。八つ当たりだと分かっているのに、最初の一声が出てしまったらもう止まらなかった。
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