「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます
 魔物討伐のための遠征は、年に何度か行われる通例行事のようなものである。勿論王太子も参加するのであるから大がかりなものだが、ヴィルヘルムはいつもそれを難なくこなしてみせる。

 以前も長期間の遠征を終えた後だというのに、ヴィルヘルムはその彫像のような顔に疲れひとつ見せなかった。一分の隙もなく燦然と、王太子としてそこに立っていた。

 だから、今回も彼は平然と帰ってくるのだとアンジェリカは疑いもしなかった。

 出立から二週間後。
 帰って来た夫を、この目で目にするまでは。

「その……アンジェリカ王太子妃殿下。大変申し上げにくいことなのですが」

 大広間で迎えの用意をする中、王太子の侍従のグレンがアンジェリカの顔色を窺いながら言う。彼は一足先に使者からの報告を受けていたらしい。

「どうしたの」

 一体何があったのだろう。すぐにでも尋ねたいところだが、思っていることを顔に出すようでは王太子妃など到底務まらない。頭の中で一瞬で「はてな」が踊るが、抑えた口調でアンジェリカは返す。

「その、ヴィルヘルム殿下のことなのですが」
「きちんと報告なさい。殿下がどうされたの?」

「殿下は辺境の地で、魔女に呪いをかかられたようでして」

 その言葉に、まるで頭をガツンと殴られたような気がした。足元がぐらついて、途端にうまく息が吸えなくなる。

 振り返りもしなかった広い背中だけが脳裏に蘇る。あれが最期になるなんてあんまりだ、と頭のどこかで声がする。

「お加減は! ご容体はどうなの?」
 気が付いた時にはもう、グレンを問い質していた。

 慌てた侍従が、
「ご安心ください。命に別条はございません」

 そこまで聞いて、体から力が抜けた。ほとんど地面にへたりこむようになって、アンジェリカはほっと息をついた。祈るように握りしめていた手を、そっと開く。

「よかった」

 自分の絞りだすようなつぶやきとは反して、快活な声が大広間に響く。

「ねえ、あんたがオレの奥さんってほんと?」

 顔を上げれば、眩いばかりのシルバーブロンドの長身が、すぐそこにいた。男はその美しい髪をわしゃわしゃと掻き上げてみせる。

「なんだよ、おばさんじゃないか。オレ、ちょっと無理なんだけど」

 とてつもなく失礼な言われ様である。わたしを一体、誰だと思っているのか。

「あなた、誰。わたくしはヴィルヘルム王太子が妃、アンジェリカよ。口の利き方に気を付けなさい」

「誰って……」

 男は結わえた髪を指先で弄びながら呟く。瞳はきょろきょろと落ち着かない。
 見かねたようにグレンが口を開く。

「ヴィルヘルム殿下は、お体にはどこも、悪いところはございません」

 そこまで言われて、アンジェリカは思い至る。

 浮かんでいる表情は、どこかあどけない。けれど、顔かたちは間違いなくヴィルヘルムだ。双子の兄弟でもいたのか、というほど目の前の人物と夫のヴィルヘルムはよく似ている。

「ですが、殿下は呪いで、十六歳に戻っておられます」

「へっ」
 とうとう喉から声が漏れた。

「こちらは、ヴィルヘルム殿下、その人でございます」

 ヴィルヘルムらしい人物が、肩を竦めて呆れたように笑う。

「そういうこと」

 それはまるで本物の少年のようで、そんな顔をした彼をアンジェリカはこの目で初めて目にしたのだった。
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