「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます
 小さな子供にするように、乱れた髪を撫でられる。自然とその肩に、とん、と頭を預けていた。

「ずっと考えてたんだ。なんであんたの部屋、あんなに殺風景なんだろうって」

 引っ付いたところから、ヴィルヘルムの声がする。落ち着いた低い声は、染み渡るようにじんわりと響く。

「だから、特に必要だと思うものがなかったからで」
「だったら、なんで必要だと思えなかったの?」

 そんなこと、考えてみたこともなかった。

「失くすのが嫌だったから、じゃないかなって」

 ああ、そうか。そうだったかもしれないと、その声を聞いていたら思えた。今までどんな侍女も、クレアでさえも。そんなこと言われたことはなかったのに。

「あんたはずっとしっかりしてて、ちゃんとしてて。でも本当はすごい寂しがり屋なのかなって」

 第三王女であっても、アンジェリカは顧みられる存在ではなかった。

 大して身分も高くない女に産ませた取るに足らない娘の一人。
 父王の政略の駒で、道具で、それ以上を望まれることもなかった。
 それを当然だと思って、生きてきた。ファーレンホルストに来てからもそれは変わらない。

 がらんどうの部屋。あれはわたしの心、そのものだ。
 そこに誰かを入れようと思ったことも、なかった。

「最初に会った時、すごい可愛いなって思ったんだ。でも、なんでだろ、言えなかった」

 それはまるで、遺言のようだった。声を聞けばいやでも分かる。
「ごめんな。もっと大事にしてやればよかった」

 彼は、終わらせるつもりなのだ。

「さて、じゃあ降りるか」

 こんなに苦労して登ってきたのに、もう降りるなどと言う。けれどアンジェリカにはもうそんな体力は残っていない。

「大丈夫だよ」

 ヴィルヘルムはアンジェリカを片手でひょいと抱えたかと思うと、にたりと片方だけ口角を上げて笑った。

「きゃっ」
「しっかり掴まってて」

 言われるまでもない。咄嗟にアンジェリカはヴィルヘルムの首に手を回してぎゅっと抱き着いた。そのまま彼は片手で器用にするりするりと木を降り始める。

 皮膚の下で熱い血潮が脈打っているのが分かる。この人は確かに今、わたしの腕の中で生きている。

「ほらね」

 気が付いた時にはもう、ヴィルヘルムの足は地面に着いていた。アンジェリカを抱えているとは思えないほど、軽やかな足取りだった。

「また木に登りたくなったら、こうすればいい」

「は、はい」
 返事をしながら、アンジェリカはどこか上の空だった。

 果たしてその時も、この人はわたしのそばにいてくれるのだろうか。そのことばかりが気になってしまう。

 下ろしてくれると思ったのに、アンジェリカの足は地に触れなかった。宙ぶらりんの自分の足は、妙に薄ぼんやりと白く浮かび上がるかのようだった。
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