「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます
 どんな魔法を使っても作れないもの。
 けれど、確かにこの世界にあるもの。
 それをこの者は見たいという。

「……分かりました」

 ヴィルヘルムはもう一度椅子に座り直して、そう返事をすることしかできなかった。そんなものがあるとは、到底信じられなかったけれど。

「では、はじめようか」

 今度は魔女が立ち上がる番だった。小柄な女が、ヴィルヘルムを見下ろしてくる。

 両手を広げれば、纏っているローブがばさりと広がり、それは宵闇の翼のように恐ろしく見えた。咄嗟にヴィルヘルムは目を閉じた。

「君の人生を、見せてくれ」

 自分が覚えていたのは、ここまでだ。
 ここでぷっつりと、記憶は途切れている。

 再び目を開けた時、ヴィルヘルムの腕の中にはアンジェリカがいた。

 泣いていたのだろう。瞼が腫れて赤くなっている。目尻に滲んだ涙を、少し迷ってから拭った。
 抱える女の身のあたたかさ、やわらかさを感じて絶望した。

 妻を抱え直して、ヴィルヘルムは大きく息を吸い、吐き出した。

 大変なことに、なってしまった。

 この身は確かに息をして、今この心臓は脈打っている。
 俺は今も、生きている。

 何があったのかは分からない。全ては幻を見ていたかのようで、遠くぼんやりとしている。

 ただ肝心なことが二つある。

 ヴィルヘルムが生きているということは、兄は生き返らなかったということ。自分は魔女との賭けに負けたということだ。

 そして、それはこの女――触れないようにしていた己の妻がヴィルヘルムを愛したというその事実を示す。

 ああ、俺は代替品にすら、なれなかったのだ。
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